今日、秋田県能代で「のしろ日本語学習会」を主宰する北川さんから、「冬美さん、秋田ユネスコ協会スピーチコンテストで2位になりました!」というメールが届きました。私は、冬美さんご自身やご主人とのフェイスブックのやり取り、そして北川さんからのメールを通して知った「お三方それぞれの思い」をお伝えしたいと考えました。
冬美さんは、企業研修生として来日し、その後2008年に結婚して、能代に住んでいます。とても積極的で、何にでも挑戦したいという思いで暮らしている冬美さんです。でも、その気持ちが実現できるのは、理解あるご主人の支えがあるからです。「おめでとうございます」という私のメッセージに、こんな返事が返ってきました。
冬美さん:
北川先生のお陰でまた新しい体験をすることが出来ました。とても嬉しいです。
ご主人:
おかげさまで昨年後半~今年は忙しい年でした。本人がなんでもやりたがるし、
私がそれ以上にやらせたがりなので、この状況はありがたいのですが(笑)。
なんと微笑ましい言葉でしょう!こうしてチャンスを見つけて育て上げる地域日本語教室の関係者、そして、それを温かく見守って支える家族の存在・・・それが「人財」を作り上げていくのだと思います。
では、まず北川さんのメールをご覧ください。
(※メール、スクリプト、写真、すべてご本人の許可を頂いてあります)
【北川裕子さんのメール】(11月7日)
スピーチコンテスト・・・冬美さん頑張ってくれました。
13名の参加者のうち、主婦三名と高校生一人、
後は、大学生と工業専門学校学生でした。
冬美さんは会場で着物に着替え、とても堂々としたスピーチでした。
冬美さんの御主人も能代教室の応援団も、みんなウルウル・・・
秋田ユネスコ協会の会長がわざわざ挨拶に来て言ってくれました。
「能代教室の参加者にはいつも圧倒されます。
自分の意見を持ち、真っ直ぐに生きている姿に感激します。
どうしたら、こういう人たちが育つのか・・・スゴイですね・・」
・
生活者として暮らす定住外国人は、生きるためにことばを学びます。
日本語の学びを、家族や地域住民とどう繋ぐか・・地域日本語教室の一番の課題です。
中国残留帰国家族支援から始めた教室は、「学んだ言葉が生きる力になる」ことを
実感させる必要がありました。
英語圏ではない定住外国人(子どもも含め)の支援には、覚悟が必要です。
自己満足や弱者救済では、地域日本語教室は継続できないからです。
・
学びの成果を実際に見せていく、・・・・・その積み重ねしかないと思っています。
「カワイイね~、美人さんだね~・・・・だから色々な活動に選ばれるんだよね~」
冬美さんは、いつも言われるそうです。
彼女の努力より、華々しさの部分しか見てもらえないことに不満がありました。
「贅沢な悩みだと思うけど・・」
と言う彼女の気持ちが分かりました。
スピーチコンテストはカワイイだけではダメです。
・
「スピーチコンテストに参加してみる?大変だけど本気で頑張るなら手伝うど・・」と言ったとき
彼女は決心したようです・・・・必死で頑張りました。
多分・・御主人も、今までみたことのない冬美さんだったと思います。
外国から来るお嫁さん達は、素晴らしい人材です。そのことに気づかない日本人が多すぎます。
彼女の努力と頑張りがあったからこその・・優秀賞です。
冬美さんは晴れ晴れとした顔をしていました・・・努力と実力で勝ち取った賞です。
・
私の仕事は・・人財育成だと思っています。
いつか・・誰かの役に立つ人になって欲しい。
苦しみ悩み、努力してそれを乗り越えた人たちは、本当の意味の優しさを知っています。
ここで育った人たちは、真っ直ぐ生きています。
スピーチコンテスト参加は、日本語指導の集大成でもあります。
これから入ってくる企業研修生や介護人材にも、定住外国人と同じような支援体制を作れたらいいのでしょうが・・・
能代教室のような活動を見せて行くことに意味があると思っています。
♪ ♪ ♪
・
実は、「のしろ日本語学習会」から秋田ユネスコ協会のスピーチコンテストに出場者が初めて出たのは、2014年のことでした。その時のことは、次の記事をご覧ください。
~スピーチコンテストに参加して~
翌2015年にも1名参加しました。
「HIDAスピーチコンテストが呼んだ新たな「つながり」
~能代の保坂さん、さらなるチャレンジ!~
そして、今年の冬美さんのスピーチ出場となりました。着付けを学んでいる冬美さんはご自分で着物を着ての参加です。では、畑山冬美さんのスピーチをお読みください。
当日のスピーチは、You-Tubeでもご覧になることができます。
You-Tube → https://youtu.be/PgvMxaxnNMA
スクリプト → 冬美さんスクリプト原稿
・
【冬美さんのスピーチ】
「日本の文化」 畑山 冬美
私は、企業研修生として、中国の吉林省から来日しました。
・
日本語能力試験2級に合格していたので、日本語にはちょっと自信がありました。でも、2008年に結婚して、主人の両親や 町の人と話すと、「言葉が乱暴だ!」と言われたり、自分の思ったことがうまく伝わらないことがあり、研修の日本語と生活するための日本語が違うことに気がつきました。
・
「きちんと話したい!」と思った私のために、主人は日本語教室を探してくれました。教室では 盆踊りなど町の人たちと交流する機会がたくさんあるので、楽しみながら、日本の文化や習慣を 学ぶことができます。少しずつ 日本人のシャイな優しさが 分かってきたような気がしています。3年経ち、「最近、言葉遣いが優しくなったね」と言われるようになりました。
・
33歳の時、「厄払いはどうする?」と主人に聞かれました。教室の先生に相談すると、「女性の体調を心配した、日本独自の文化です。着物を着て、厄払いをしてもらったらどうですか?」と言われました。
・
当日、美容室で髪を結い、初めて 着物を着せてもらった自分を見たとき、別人になった気がしてワクワクしました。厄払いの言葉は ほとんど分かりませんでしたが、一瞬、日本人になったような気がしました。
この体験で、着物がとても好きになり、いつか自分で着られるようになりたい、と思いました。
・
昨年、教室の先生に「『着物装いコンテスト』に出てみない?」と言われました。厄払いの時の願いが叶うのです。挑戦してみたい、迷いながら家族に相談すると、「日本人でも着られる人が少なくなっているから頑張れ」と 主人の母が言ってくれました。
・
それから、必死で着付けの練習をしましたが、1本の帯が結び方一つで、いろんな形に変化することに 驚くと同時に、感動しました。でも、着付けよりも難しかったのは、着物を着たときの動き方でした。日本語で「立ち居振る舞い」と言いますが、ひじを体から離さない、指をそろえるなど、「作法」によって自然に美しい体の動きになるのです。日本の文化は本当にスゴイと思いました。
・
着付けの先生のお陰で、東京で開催された「全日本着物装いコンテスト世界大会」にも参加することができました。夢のような、一生忘れられない体験です。私は ますます着物が好きになり、今も着付け教室に通っています。いつか、中国の人に着物を着せてあげたい、着物の良さを伝えられるようになりたいと思っています。
・
秋田で暮らすなら方言でも良い、と言う人がいますが、私は ちゃんとした日本語を勉強したことで、日本の文化や日本人の心を学ぶことができたと思います。今も主人の仕事を手伝いながら、日本語教室に通っています。私がここまで来ることができたのは、いろんな事に挑戦させてくれる主人のおかげです。いつも応援してくれ、「一緒に楽しんでるよ」と 言ってくれる主人に感謝の気持ちでいっぱいです。
・
これからも勉強し、いつか主人を支えられるようになり、町の人たちの役に立てるようになりたい と 思っています。「これからもよろしくお願いします」と主人に伝えるために、スピーチコンテストに参加しました。
ご清聴ありがとうございました。
参考:
◆のしろ日本語学習会で学ぶ冬美さんとタエバさん「天空の不夜城」運行時の通訳を!(2017.8)
◆のしろの冬美さん「全日本装いコンテスト」で外国人の部で優秀賞!(2016.11)
◆散在地域の日本語支援を考える(のしろの事例より)
~「外国人は地域社会をともにつくる人財」という視点~(2016.1)