HIDAスピーチコンテストが生んだ新たな「つながり」~能代の保坂さん、さらなるチャレンジ!~

HIDAのスピーチコンテストは、12月5日に無事終了しました。会場に入りきれないほどの参加者が見守る中で行われた10人のスピーチは、どれも心温まる、素晴らしいものばかりでした。http://www.acras.jp/?p=4850

 

保坂スピーチコンテスト写真

保坂スピーチコンテスト写真

このコンテストは、スピーチ原稿を提出し、まず一次審査があります。その後、10人の本選出場者が決定し、当日を迎えるという流れになります。今年は、昨年よりも多い「5か国、36人の応募者」がありました。残念ながら26人の方は、予選落ちとなりましたが、その中の1人、秋田県・能代市の保坂みち子さんの「後日談」をお伝えしたいと思います。

(私は9年前から、毎年何回か「のしろ日本語学習会」(主宰:北川裕子さん)にお邪魔しています。そして、さまざまな方々とお会いしたり、ライフヒストリーをお聞きしたりしてきました。そんなことから、保坂さんの応募、予選落ち、さらなる挑戦・・・と、北川さんから貴重なお話を伺うことができました。)

 

参考:2012年には、「中国出身の保坂さん、介護福祉士に合格!」という記事も発信しています。

http://www.nihongohiroba.com/?p=2520

 

保坂さんは、のしろ日本語学習会を主宰する北川裕子さんに勧められ、今回「是非出たい!」と応募することにしました。介護福祉士として働く保坂さんは、中国吉林省出身。結婚で能代市に移り住み、平成20年にヘルパー2級の資格を取得。さらに介護福祉士の資格も取りたいと、まずはN2に挑戦し、合格を手にしました。そして、24年には介護福祉士の資格を取りましたが、その直後の4月にご主人が胃がんで入院、7月には亡くなってしまいました。そんな思いをスピーチに盛り込んだのですが……。

 

10月下旬にHIDAから届いた「不採択通知」を見たコーディネーターの北川さんは、「保坂さん、残念だったね」と言いながら、すぐさま「次のこと」を考えていたのです。

 

「保坂さん、がっかりしないで! そうそう、今、ちょうど秋田ユネスコ協会が『外国人による日本語スピーチコンテスト』が募集しているから、それに出よう。一緒に行くから」

 

と、秋田ユネスコ協会が毎年開いているコンテストに応募することにしたのです。そして、みごと「特別賞」に選ばれました。この賞は、聴衆に感動を与えた人に与えられる賞として、今回新たに設けられたのだそうです。

 

HIDAのスピーチコンテストが結んでくれた縁、それも北川さんとの二人三脚があってこそ生まれた「新たな挑戦」……、「つながり」を生かす力の大切さを改めて感じさせられました。では、保坂さんの原稿をお読みください。なお、You-tubeでも見ることができます。

https://youtu.be/hqY7Dm9sUw4

 

 

   <スピーチ原稿>

「より良い介護をめざして」 保坂みち子

 

私は平成11年、中国の吉林省から結婚のために日本へ来ました。当時は、日本語が全く分からず、買い物にも不自由しました。やがて、町の日本語教室の存在を知り、通い始めました。そして、ヘルパー2級の講習を受けました。その時は、とても苦労しました。普段使わない言葉や専門用語がどんどん出てきて、全く理解できませんでした。一つ一つ辞典で調べたり、先生や仲間に質問したりしました。みんなが30分ほどで出来る実習レポートも、当時の私は2時間も3時間もかかりました。こうした経験から、日本語学習の必要を痛感しました。

 

平成20年に高齢者施設に勤める事が出来ました。仕事をしていくうちに、「もっと日本語を学びたい、専門的な知識を身につけたい」と、介護福祉士を目指す思いが強くなっていきました。介護福祉士に挑戦するなら、高い日本語能力が必要だとアドバイスをもらい、毎日4時間近く日本語の勉強に取り組みました。そして平成22年、日本語能力試験N2に合格する事が出来ました。

 

平成24年、介護技術講習を修了して、実技試験免除となり、いよいよ国家試験の勉強をしようとした矢先、検査入院していた主人が[がん]だと宣告されました。驚きと悲しみのため、試験を断念しようと思いましたが、「自分は大丈夫だ、勉強を続けなさい」という主人の言葉で前を向く事が出来ました。主人の病気と、介護の仕事と子どもの将来を考えると、パニックになりそうでしたが、自分の出来る力を出し切ろうと死にものぐるいで勉強しました。

 

日本人でも難しい試験だと聞いていたので、合格の通知が届いたときは信じられず、涙があふれました。あきらめずに続けて本当に良かったと思いました。病院で主人が「よかったな、おめでとう」と言ってくれ、家族みんなで喜びましたが、それが主人の最後でした。

 

日本語の勉強が、国家試験合格につながり、日本人との交流が増え、日本の文化や習慣がより理解できるようになりました。カンファレンスや勉強会で、自分の体験を話したり、意見交換が出来るようになることで、よりよい介護をしたい、もっと喜んでもらいたいと思うようになりました。介護は、ただ食事、入浴、おむつ交換をする事だと思っていましたが、実際に仕事をしてみると、そうではない事が分かります。知識や技術と同時に、利用者さんの気持ちを思う心がないと、本当の介護が出来ないと分かりました。

 

 

未熟な自分に、周りの人たちが分かりやすく丁寧に説明してくれ、間違ったときも暖かい言葉で励ましてくれました。つらいときを乗り越える事が出来たのは、良き先輩や仲間に恵まれたからだと感謝しています。外国から来た人たちが、たとえ今、日本語がうまく話せなくても、温かい目で支えてください。きっといつか、みなさんのお役に立てるようになると思います。まだまだ学ぶ事が多い私ですが、よりよい介護を目指して、これからも努力するつもりです。

   

【北羽新聞(2015.11.21)の記事の一部】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>