感動のスピーチ!「看護・介護にかかわる外国人のための日本語スピーチコンテスト」(HIDA)

12月5日(土)に、HIDAにて「看護・介護にかかわる外国人のための日本語スピーチコンテスト」が開かれました。

スピーチタイム(スワルティさん)

スピーチ(スワルティさん)

このスピコンは、2012年に始まり、今年で4回目となります。これまでも「是非聞きに行きたい!」と思いながら、仕事と重なって実現できずにいました。念願叶って、選抜された10人の出場者のスピーチを聞くことができました。

 

実は、審査員で参加したため、評価しながら、さらに必死にメモを取っていました。それは、終了後の講評で、3人の入賞者のコメントをいう「お仕事」があったからなのです。現場での体験に基づく話には、エネルギーがあり、人の心に訴える力があります。

皆さんのお話は、何もかも忘れて聞き入りたいほど、感動的なものでした。

 

帰ってきて、走り書きのノートを見ていて、このまま捨ててしまうのは勿体ないと思いました。そして、「10人の方の感動的な言葉、エピソードを少しでも広く伝えたい!この思いを共有したい!」と考え始めました。それは、入賞者のスピーチのコメントだけしか言えなかった残念さから来るものでした。感動のスピーチの中のごく一部ではありますが、どうぞお読みください。

※走り書きのメモから起こしたものですので、一部曖昧な所もあることをご了承ください。

 なお、掲載した写真は、主催団体「HIDA」のご厚意によるものです。

 

 ♪   ♪   ♪

 

①  バリセロ・クリスチャン・バンバオさん(フィリピン男性:青森) 「介護のやり甲斐」

海外で働きたい、介護の仕事に挑戦したいという思いから来日した彼でしたが、やはり精神的な負担は大きかったと言います。そして、フィリピンにいる父親の病気、看病疲れの母親を想うと辛くなり、いつも母国の両親を思い出して仕事をしていました。そんなバンバオさんは、一つのエピソードを紹介してくれました。

 

ある認知症の利用者さんの入浴介助をしている時、「どうもありがとう。さっぱりしました」と何度も言われることに感動。その言葉に、介護の仕事のやり甲斐を強く感じるようになりました。そして、「人生の最終章に向かう人の最後のページに手伝えるのが介護の仕事」であり、介護では「心と心のふれあいが大切」だと声を大きくして語っていました。

 

介護の仕事が大好きになった彼ですが、実は、お父様の介護のためフィリピンに戻ることになりました。でも、最後に「介護の仕事をしに、近い将来日本に戻ります」と述べ、「さよなら、ではなく、始まりです」と結んでいました。

 

 

②  スワルティさん(インドネシア女性:兵庫) 「異文化看護:お風呂の利益」

7年目になるスワルティさんは、インドネシアと日本の文化の違いについて、現場で気づいたこと、感じたことについて話してくれました。お風呂のこと、葬儀のしかたなどさまざまなことに驚き、一つずつ学んでいきました。

 

そんな中で、病院でびっくりしたことを2つ挙げてくれました。

・喉に穴をあけている気管切開の患者さんが入浴していること。

・寝たきりの方が入浴していること。

そして、インドネシアでは他人には体を見せたくないから、清拭は家族がすることなのに、女性の自分が男性患者の世話をしたりすることに大きな戸惑いがあったと言います。

 

しかし、「昨日は、お風呂ありがとう。昨日の晩、よく寝られたよ」という患者さんの感謝の声を聞いているうちに、「患者さんの文化、生活、習慣などを知って、近づいていくこと」の大切さに気づいていったと言います。

 

 

③  チャン・ティ・タンさん(ベトナム女性:岐阜) 「介護の仕事は自立支援」

医者になりたかったタンさんは、EPAのプログラムを知って応募したいと思いましたが、周りでは多くの人が反対したそうです。ベトナムにいた時には「介護は召使の仕事」だと思っていたタンさんでしたが、来日して、専門的な介護を学び、日本社会・文化を体験することで、考え方は大きく変わっていきました。タンさんは、介護とは何でも手伝うことではなく、できることは利用者さん本人にやってもらうことが大切だと気付いたのです。そして、「ご自分でできますか。やってみてください」と声かけするようにしているのだそうです。

 

左肩麻痺で1人で移動することはできなかった利用者さんが、2か月リハビリをすることで車椅子を自分で動かせるまでになりました。それは何でも手伝うのではなく、常に「頑張って!」という思いで見守っていたからだと言います。そして、食堂まで車椅子を動かしながら来られるようになったその利用者さんに「よく頑張りましたね」と言ったところ、うれし涙を流しながら「ありがとうございました!」と言われたことは、いつまでも忘れられない思い出です。

 

 

④  サトリア・ハプラブさん(インドネシア男性:徳島県) 「自己啓発を受けた事」

国で看護大学を卒業した時、インドネシアに残って仕事をするか、それとも日本に行くか、かなり迷いました。でも、「チャンスは、二度と訪れない」という言葉を胸に、日本にやってきました。その底流には日本への憧れもありました。

 

しかし、現実は厳しく1か月後「この仕事をやめたい。インドネシアに帰りたい」と思ったそうです。ちょうどその時サトリアさんが目にしたある光景が、彼の心を大きく変えていきました。それは、事務所で、一人で掃除をしている施設長の姿でした。「どうしてこんな偉い人が?」と思うサトリアさんは、翌日先輩に聞いてみました。先輩は、「施設長はここで一番長く働いているから」と答えたので、サトリアさんは「だから、どこが汚れているか一番分かっているのですね」と聞いてみると、「あとは自分で考えて」と言われました。サトリアさんはその後、施設長は、他のスタッフに良いお手本を見せるために掃除をしているのだと理解するようになりました。

 

次第に分かってきたことは、施設長はスタッフに良い点を見せるためではなく、施設を自分のもの、自分の大切な物だと思って、訪れる人や入居している人のために黙々と掃除をしているということでした。それは、サトリアさんの心を動かし、介護こそ自分に与えられた仕事だという思いでいっぱいになっていきました。

 

「温かい心をこめて、信頼される介護福祉士になろう」と決心したサトリアさんは、昔習った「少年老い易く、学成りがたし。一寸の光陰軽んずべからず」の言葉でスピーチを締めくくりました。

 

 

⑤  リベラ・クリストファー・ソンコさん(フィリピン男性:大阪) 

「自らの介護魅力について」<第3位>

3位になったリベラ・クリストファー・ソンコさん

3位になったリベラ・クリストファー・ソンコさん

日本に来て6年というソンコさんは、体力的な大変さだけではなく、言葉の壁・ホームシックなど精神的な辛さを感じ、「いつまで続けられるだろうか」と悩んでいました。そんなある日、入所1か月の80歳になる利用者さんと出会いました。いろいろな事を話す中で「人生の大先輩から学ぶこと、役に立つこと」の多いことに気づき、またこの方が毎日手紙を誰かに書き続けている姿にもびっくり!(その多くが、遠く離れて住む息子さんに宛てたものでした)

 

しかし、次第に認知症も進んでいき、話をしても分からないのに、ソンコさんの顔を見ると、手を取って「私のことを大切にしてくれてありがとう。両親も大切にしてくださいね」と言ってくれました。今度一緒に息子さんに手紙を書こうと思っていたけれど、とうとう入院後1週間で亡くなられました。

 

「介護の世界は、性別・国籍・人種の境を超えたもの。一番大切なのは心の絆」というソンコさんは、日本で、母国で、そして世界で貢献出来ることを願っているそうです。

 

 

⑥  エクセルシス・ジョン・ボルボン(フィリピン男性:東京) 「コミュニケーション奮闘記」

日本に来て6年というボルボンさんは、2011年の東日本大震災も経験しました。周りの人達が海外に避難する中で、「日本が困っている時だからこそ、残ろう」と決心しました。そして、その時に見た日本社会・日本人の素晴らしさは忘れられないと言います。

 

3年目に国家試験に合格した時は本当に嬉しかったけれど、合格後には、もっと厳しい毎日が待っていたのです。夜勤の時の不安な気持ち、早くて分からない日本語、報告・・・いろいろ大変なことがありましたが、本当に苦しくても、痛くても優しさを表してくれる患者さん達に勇気づけられました。「あなたは信用できない」「大丈夫なの?」という心ない言葉に出会ったこともありましたが、現場での患者さんとの触れ合いがボルボンさんを支えてくれたのです。

 

 

⑦  ルオン・マイ・ホアンさん(ベトナム男性:東京) 「介護は温かい」<第2位>

2位になったルオン・マイ・ホアンさん

2位になったルオン・マイ・ホアンさん

タイトルの通り、ホアンさんのスピーチはとても温かいものでした。そんなホアンさんも、日本に来てすぐは落ち込みました。でも、一歩一歩前向きに!と思いながら仕事をしていきました。

 

そしてある日、こんな経験をしたのです。利用者さんの手を握って差し上げると「どうしてそんなに手は熱いの?」と聞かれたので、ホアンさんは「心が温かいから、手が温かいんですよ」と答えました。その方はそのまますやすやと車椅子に座ったまま寝てしまわれました。そして、目が覚めると、「温めてくれて、ありがとう」とホアンさんにお礼を言ったのです。こんな経験を通して、「介護とは温かい気持ちを吹き込むこと」だと分かり、介護は素晴らしい仕事だと思えるようになりました。そんなホアンさんは、今では、日本の生活も介護の生活も、強い気持ち、温かい心で取り組むことができるようになりました。

 

 

⑧ 佐古玖里登さん(ブラジル女性:静岡) 「ほほえみのお返し」

日本に来て24年というクリスさんのスピーチは、笑いがいっぱい。とてもすてきなスピーチでした。日本社会でクリスさんが、いかに満ち足りた、人々と温かい関係で生活しているかが窺えるお話でした。

 

「人と関わることが好き」というクリスさんは、認知症の重い人と関わりたいと言います。それは、そういう人こそ不安があるからなのです。何度名前を教えても覚えられない認知症の利用者さんには、何度でも何度でも名札の裏に自分の名前を書いて差し上げました。そして、何回も何回も声に出して伝えていきました。そのうち周りのみんなも覚えていきました。こんな粘り強さ、明るさは、きっと介護現場では、大きな力になっていることでしょう。私はクリスさんの介護現場にお邪魔したくなりました。

 

介護で大切なことは「人の生きる希望を引きだすこと」であると述べ、挨拶、あいづちの大切さを笑いとともにしっかり伝えてくれました。

 

 

⑨  チェチェップ・タウフィク・ハディアンサーさん(インドネシア男性:岡山)

「カ・イ・ゴとは」<第1位>

1位になったチェチェップ・タウフィク・ハディアンサーさん

1位になったチェチェップ・タウフィク・ハディアンサーさん

笑顔で、ジェスチャーたっぷりのチェチェップさんのスピーチは、最初から聴衆の心をぐっと掴んで離しませんでした。タイトルにもオリジナリティがあります。

カ=かわいそうな「か」

イ=忙しいの「い」

ゴ=誤解の「ご」

という意味なのですが、「ゴ」に関しては、こんな事例を挙げて話が進んでいきました。

 

「唐揚げにソースかけますか?」と聞いたところ、利用者さんの返事は「いいよ」だったので、かけたところ「お前、アホか!」と言われました。「要らない」の意味だったのです。

 

また、「インドネシアに、こんな施設があるか」という質問を受けたことがあるのですが、聞き取れなかったので、「あー、そうなんですか」と答えて切り抜けようとしました。ところが、そうはいきません。「私は、あんたに聞いているのよ。頭、大丈夫?」

と言われてしまったそうです。

 

こんな2つのエピソードから、チェチェップさんは「日本語は難しい」と笑いながら話していました。そして、「カ・イ・ゴ」を前向きに捉え、もっと日本語力を身に付けよう、忙しくても気持ちを落ちつけて利用者さんに向き合おうという熱い思いで締めくくられました。

 

 

⑩  グラビナ・グレチェン・メ・ミランダさん(フィリピン女性:愛知) 

  「認知症ケアについて」

タイトルのとおり、認知症の利用者さんに寄り添っているミランダさんは、こんな経験をしました。どんなに言葉

講評

講評

が分からないと言われている認知症の方にも毎朝笑顔で「おはようございます」と言い続けました。すると、半年後「ありがとう」と答えてくださったのです。その時の嬉しかったことと言ったらありません。そして、その方が、ご自分の家族にも「ありがとう」と言っている姿を見かけ、とても嬉しくなりました。

 

フィリピン出身のミランダさんは、大家族で育ちました。だから「大きな家族」という思いで介護の仕事を続けています。そして、「笑顔で、利用者さんの心をつかんでいきましょう」という言葉でスピーチを締めくくりました。

 

 

 

 

      ◆   ◇   ◆   ◇

先ほどHIDAより、嬉しいお知らせがありました。

ホームページに、10人の出場者すべての動画がアップされました。

是非ご覧ください!

   → http://www.hidajapan.or.jp/jp/project/nihongo/sp2015/index.html

最後に記念撮影

最後に記念撮影

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>