2013年第一号のアクラス研修は伊東祐郎さん(東京外国語大学教授)による評価に関する研修でした。評価を専門とする伊東さんは、サラリーマン生活を経て、日本語教育の世界に入られたのですが、まずはこんなお話が飛び出しました。
「私が日本語教育世界に足を踏み入れたのは、30歳ごろでしたが、当時私が受けた長期教師養成講座には、「評価法」がありませんでした。これでいいのかと思いながらも、評価の理論的なよりどころもなく、既存のやり方をまねながら、自分で勉強しながらやってきました。つまり、私は、自分にとって一番弱い部分を勉強してきた結果、今の私があると言えます。」
そして、ご自身の経験談に聴き入っている受講者に、「ところで、皆さんテストを作るのは好きですか」という質問が投げかけられました。そこから、一人ひとり意見を求められ、まずは現場で自分自身「テストをどう捉えているのか/どういう考えて実施しているのか」といった振り返りから始まりました。
・いいテストってどんなテストなんだろう?
・自分はなぜテスト作りが好きではないんだろう?
・何のためにテストをしているのか、立ち止まって考えているだろうか?
・実際にテストをどう活用しているのだろうか?
・テストの波及効果をどうとらえればいいのだろうか?
参加者間のやり取りを経て、「テスト理論と実践」について話が進んでいきました。まずは、テストの信頼性、妥当性に関して、日本語能力試験といった大規模試験の場合、教室内で教師が作る小規模テストの場合に分けて、受講生とともに話し合いが行われました。
次に、真正性の確保は、教師自身の教育理念やどういう学習者を作りたいと思っているかにかかってくるという重要なご指摘があり、「英語力自己診断票」というものが出され、全員でそれぞれチェックしてみました
(資料① 英語力自己診断票)。 この作業を経て、Can-do-statementの記述の特徴、Can-do-statementをどう作っていけばいいのかについての話し合いが行われました。
近年、CEFRが唱えるCan-do-statementが目立ちすぎ、独り歩きしていることに対して、現場教師はもっと反省する必要があるというご指摘もありました。
「最近はCan-do-statementばやりですが、「経験したこと・教えたこと・目標だったこと」を反映できるものでなければ、意味がなくなります。例えば、「クリスマスの時にクリスマスカードが書けますか」と言われても、それを実施していなければ意味がありません。単にCEFRは有名だから使うというのではなく、それが日々の教育目標と一体化しているかどうかが重要なんです」
さらに、「自己評価や診断として使う場合と、教育目標として使う場合では、Can-do-statementの書き方が違ってくる」というお話も重要なポイントであり、文化庁の「生活上の行為の事例と能力記述」に関する資料などを基に、お話が展開していきました。
(資料② 生活上の行為の事例と能力記述(文化庁))
(資料③ 標準的なカリキュラム案(文化庁))
Can-do-statementによる教育目標の可視化・具体化・記述化といった動きは、評価観そのものを変えていきましたが、こうした最近の評価の動向に関しては(資料④ 「現場での評価をどう考えればいいのか」)をご覧ください。
新年早々のアクラス研修は、「現場での評価を どう考えればいいのか?」という重要なテーマで始まりました。今後それぞれの現場で、「評価」を軸にさまざまな「対話」の輪が広がっていくことを願っています。
研修終了後はいつものように近くのレストランでの懇親会。2時間の研修時間では話しきれなかったこと、現場での課題、自分のキャリアデザインなど、話は多岐にわたり、ワイワイガヤガヤ楽しいひと時を過ごしました。