みんなで作る「自分達の町・北見」~「いろはの会」から学んだこと~

 

伊藤さんと「木倉屋」で

伊藤さんと「木倉屋」で

11月16日・17日と「北見YMCAいろはの会」に研修のため出かけました。女満別空港にはメンバーの伊藤さんが出迎えてくださり、北見市内をぐるっと回りながら、北見という町、「いろはの会」の成り立ちや活動についてお話しくださいました。

オホーツク圏最大の都市である北見市は、北海道では1位、全国でも4位の広さを誇り(1、430km²)、東西に延びる道路は、東京駅から箱根までの距離に相当する110kmもあります。その北見市の人口が12万5千人であることを考えると、どれだけゆったりと人々が暮らしているかが分かります。

そこで、通称「いろはの会」では、全て1対1の日本語レッスン、場所もボランティアさんの家だったり、学習者の家だったり……。どこまでもその地に合った、学習者にとってより良い形で日本語学習を……という思いで「いろはの会」は活動しています。

■学習者もボランティアも「月500円の会費」

「いろはの会」の会則を見ると、会員は「日本語を希望する外国人=L会員」「北見YMCA日本語ボランティア講師コース修了生で入会を希望する者=T会員」であり、「月額500円の会費を納入し、会を運営する」と書かれています。つまり、ボランティアも学習者も同じ会員という立場で、「ともに学び、ともに活動する」という理念で運営されているのです。

L会員が納めた会費は、積み立てておいて、日本語能力試験(模擬)やJ-TESTを受ける時に使われます。つまり試験を受けたい人は全員無料で試験を受けることができ、L会員から徴収した会費はL会員に還元されるようになっています。

1日目午前中グループA

1日目午前中グループA

一方、T会員が納めた会費は、T会員(ボランティア)のための研修会等の費用に充てられます。今回の研修会も、会費積立によって実現したのです。「今年は、○○の助成金が取れなかったから、研修会が出来なくて困っています」という団体が多い中、みごとな会の運営です。「T会員の中から、なぜ会費を払わなければならないのか、といった声が出てきませんか」という質問に対して、こんな答えが返ってきました。

「そんな声はありません。だって、私達は、500円しか払っていないのに、毎月4回も日本語支援を通して外国の人からたくさんのことを学ばせてもらっているんですから、ほんとうに贅沢な話ですよ」

■なぜ「いろはの会」が生まれたのか?

「いろはの会」は、2000年に設立されましたが、それにはこんな事情がありました。当時、道東には外国人対象の日本語教室がなく、しかも学習を希望する人の居住地が広範囲にわたっています。レベル、習得目的や生活背景もさまざまであることから、公的私的に有料・無料でのクラス運営が不可能だったのです。

1日目午前中グループB

1日目午前中グループB

しかし、日本語を学びたいという人達の声をそのままにしておくわけにはいきません。そこで、北見YMCAの協力により日本語講師の育成講座を開催し、その受講者の賛同を得て、日本語ボランテア「いろはの会」が生まれました。名前が「北見YMCAいろはの会」となっているのは、事務処理、会場使用、その他いろいろな協力関係がYMCAとの間にあるからなのです。

■佐呂間からの依頼に「人の輪作戦」

ある日、伊藤さんに佐呂間に住む藪住職から、T会員の一人を通じてこんなお願い事が飛び込んできました。

「酪農農家に嫁いだフィリピン出身の女性Aさん達が運転免許を取りたいけれど、日本語が分からなくて困っているんですよ。なんとか支援してもらえませんか。運転免許が取れたら、どんなにか生活面で便利になるでしょうから……。また来日したばかりの人もいて、まったく日本語ができません」

伊藤さんはすぐにでも引き受けたいものの、北見から佐呂間まで片道1時間の距離があります。長期間となればT会員の冬道の運転にも不安があります。そこで、周辺の人々と相談し、連携を取りながら実現させていきました。

実は、このお寺の本堂は、「宅老所」としてお年寄りを受け入れていましたが、その宅老所では、車でお年寄りを病院に連れて行っていました。そこで、次のようなアイディアが生まれたのです。

「お年寄りの病院送迎車を利用しよう! まず、お年寄りを佐呂間から北見の病院に送る。その車に北見のT会員宅に寄ってもらう。そして、日本語ボランティアを乗せて佐呂間に向かう。本堂に着いたら早速日本語レッスン開始。Aさん達の子どもの面倒は、病院には行かないお年寄りに見てもらう。日本語レッスン終了後は、車で日本語ボランティアを北見に送り届ける。車はそのまま病院に向かってお年寄りをピックアップして、佐呂間に戻る。これで解決!!

「いろはの会」の4人が担当し、レッスンは毎週行われました。こうした日本語支援のお陰で、(Aさんは無事)免許取得・幼稚園のお便りの読解その他の目的を達成することができ、約5年で佐呂間での日本語レッスンは終了しました。こうした外国人の日本語学習の個別のニーズに応じて場所・時を固定せずに活動してきた「いろはの会」は、十数年を経て、現在のような大勢の会員からなる団体に発展していったのです。

■研修会でも学習者を交えた「対話タイム」を設置

パネリストは4人の学習者

パネリストは4人の学習者

今回の2日間にわたる研修会は、1日目は午前・午後入れ替え制という形で、2つのワークショップを体験する形を取りました。そして、2日目は2人の講師が前日のワークショップを中心に話をし、さらに札幌からかけつけた神谷頼子さんから「いろはの会」「北海道の日本語ボランティア活動」について、示唆に富んだ話を聞くことができました。

2日目の午後は4人の学習者がパネリストとなり、思いのたけを語り合うという興味深いパネルが繰り広げられました。ここでは、「学ぶこと・教えること」は、一方通行ではなく、どこまでも対等です。

4人のパネリストの発言を受け、今度はその4人の学習に関わっている会員が発言。それに対して参加者全員でコメントを述べたり、アドバイスをしたり……。まさに多様な対話が繰り広げられた貴重なパネルセッションでした。

「オホーツク」で有志による懇親会

「オホーツク」で有志による懇親会

帰り道、「学習者もボランティアさんもみんな一つになっていて、すてきな団体ですねえ」という私の言葉を聞いた「いろはの会」の方は、こう答えてくださいました。

「北海道は、もともといろいろな人が一緒になって作ってきた町ですから、それが日本人だろうと、外国人だろうと、一緒に社会を作るという意味では同じです。いつ来たか、どこから来たかなんて、関係ないですよね。困っていれば助けるってことですよね」

日本社会全体として、こうした思いをもっと大勢の人が持つことで、「日本人にも、外国人にも住みよい社会づくり」が実現するのだと改めて痛感した北見出張でした。

「会場後片づけの後で ~学習者の方・いろはの会の方とご一緒に~」

会場片片付けの後で~学生さん・いろはの会の方と一緒に

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