日本の教育、みんなで考えませんか?~『英語教育、迫り来る破綻』を読んで

『英語教育、迫り来る破綻』

『英語教育、迫り来る破綻』

大津由紀雄氏のブログで7月14日の講演会、および『英語教育、迫り来る破綻』(大津由紀雄、江利川春雄、斎藤兆史、鳥飼玖美子著)の出版について知りました。ぜひ講演会に参加したいと思ったのですが、出張と重なってしまいました。そこで、私も日本の英語教育、語学教育についての考えを記したいと思いました。

■場当たり的な意見出しに失望!~日本語教育に関する意見から~
私はこれまで何度か日本語教育、留学生政策などに関して意見を述べてきました。あまりに場当たり的な提案、現場を見ていない改革案に驚き、「とにかく声をあげなければ!」という思いからでした。今年5月の教育再生実行会議による「これからの大学教育等の在り方(第三次提言)」についても同様の思いを抱きました。まずは、日本語教育に関して、一つご紹介したいと思います。

『留学生100万人計画の画餅』(2007.4.24)http://nihongohiroba.com/?p=344
2007年4月、教育再生会議は当時12万人の留学生を2025年までに100万人にする案を提示し、そのためには「英語での授業を増やす」「複数の日本語能力試験を統一する」ことが必要だと主張しました。ここには留学生の日本語教育に関する言及はなく、「国際語である英語で授業をやれば留学生は増加する」という短絡的な考えに基づくものでした。

私がもっと驚いたのは、「日本貿易振興機構(JETRO)など複数の機関が行う外国人への日本語検定の一元化」という意見でした。留学生のための試験として、日本語能力試験、日本留学試験、BJTビジネス日本語能力テスト(当時はJETROが実施していましたが、現在は日本漢字能力検定協会が実施しています)などがありますが、各試験にはそれぞれ異なった目的があるにもかかわらず、それを統一すべきだと言うのです。日本留学試験は留学生が日本の大学で学ぶための日本語力を測る目的で、さまざまな調査・試行を重ねてやっと2002年にスタートしたばかりだったのですが・・・・・・。

そもそも18年間で88万人も留学生数を増やすとは、どういうことなのかを全く理解していない提言だと強く思いました。実は、これまでにも留学生受け入れに関しては、こうした現場から乖離した机上の空論的な改革案が何度も出され、そのたびに現場では驚き・失望・苛立ちを募らせているのです。詳しくは上記のURLをご覧ください。

 

■米国の大学入試を日本の大学入試に使うのは、なぜ?
4月に自民党の教育再生実行本部が安部首相に提出した「英語教育の抜本的改革」には驚きました。そこにはTOEFLという文字があちこちに踊り出ていたのです。そこで大津由紀雄氏をはじめとする英語教育界の先生方の素早い発信があり、7月上旬には『英語教育、迫り来る破綻』を手にすることができました。

私も日本の公教育の到達目標としてTOEFLを使うことには反対です。そもそもアメリカの大学に入るための試験であることを考えると、あちこちで齟齬が生じるのは火を見るより明らかです。「今回は最も子供たちに影響力の大きい大学入試改革に焦点を当て、日本の大学の英語入試(一般入試)において、実用的な英語力を問い、国際的に通用する外部資格試験(TOEFL)の大規模な導入を訴えたい」という経済同友会の主張は、十分な根拠があってのこととは思えません。どこまで今の大学入試をご存じなのでしょうか。また、「実用的な英語力」という言葉は何を意味しているのでしょうか。

大学入試の抜本的な改革ということになれば、中学・高校における英語教育も大きな変化の波にさらされます。「とにかく大学入試を変えれば……」というのは、あまりにも短絡的な考え方であり、「今、この時」が大切な学習者を無視していると言わざるを得ません。抜本的改革とは、もっと多角的・多面的に検討された、包括的な変化が求められるのではないでしょうか。

 

■教育費にもっと予算を!~ただし、よく精査してから始めよう~
私はもっと教育費に予算を割くべきだと考えます。日本は国内総生産(GDP)に占める教育機関への公的支出の割合は3.6%(2009年)であり、OECD加盟国の中で比較可能な31カ国の中で、3年連続最下位というありさまです。

これまでいろいろな改革案を出しても、「使える英語」が身についていないという主張には、もっと予算をかけて英語教育の学習環境を改善すべきだと思います。例えば、一つのクラスでの学習者数を減らす等さまざまな方法が考えられます。

かといって、何でも予算をつければいいとは思いません。例えば、最近、ALTの数を増やすという案も提示されましたが、これはネイティブ英語教師を増やして、生の英語に触れさえすれば・・・という安易な考え方であると言わざるをえません。現在のALTの資質、活動状況はどうなのか。今、ALTによる英語教育で何が課題なのか。こうした現状を検証することなく、次から次へと新しい案を出していては、現場が疲弊するばかりです。

 

■場当たり的な改革に、現場教師は右往左往!
私には、今でも忘れられない出来事があります。2000年に「総合的学習の時間」が始まりました。その狙いは、次の3点でした。

・自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
・学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること。
・各教科、道徳及び特別活動で身に付けた知識や技能等を相互に関連付け、学習や生活において生かし、それらが総合的に働くようにすること。

これが発表されてしばらく経ったある日、ご近所の小学校の先生方が3人、私が勤務するイーストウエスト日本語学校にいらっしゃいました。「突然総合的学習の時間を・・・って言われてしまって、どうしていいか分からないんですよ。国際理解教育って言われてもねえ。それで、お願いなんですけど。どうしたらいいか教えていただけませんか。お宅では、外国の人がいっぱい勉強しているし・・・。何しろマニュアルがないんで、分からないんですよ」

それから、何年間かいろいろな形での連携が始まりました。しかし、それから何年か経ったある日、小学校の先生からこんなメッセージが届きました。「あの、国の方針が変わったので、もう国際理解教育は必要なくなりました。だから今後は・・・」

こうして「ゆとり教育はすべて悪」だったかのように、先生方は黙々と「新たに示された道」を歩み始めました。もう日本語学校で学ぶ留学生には一切関心ないと言わんばかりの姿勢で~~~。

 

■今こそ「日本における教育の課題」をオールジャパンで考えよう!
今度の英語教育の改革案にも、今述べた「総合学習」と同じような「問題点」があるのではないでしょうか。もっと現場をよく見て、現場の人々から意見を聞き、さらに多分野・多領域の関係者とも連携して、日本の教育を考えていくことが重要だと改めて思います。

鳥飼玖美子氏は、「このままでは、日本の英語教育だけでなく、次世代を育てる教育全体が大きく歪むことになることを憂慮します。これを正す対案は、政治に教育を任せるのではなく、国民一人ひとりが教育のあり方を真剣に考えることに尽きる、と考えます」(p.106)と述べておられますが、同感です。教育こそ将来の日本社会を作る上で大切なものであり、促成栽培ができないことから、じっくり時間をかけて作り上げなければならないのです。それを場当たり的に、改革、また改革・・・・・・・を繰り返していては、30年後、50年後の日本は取り返しのつかない状況になること必至です。

今こそ、みんなで声をあげませんか。日本の未来のために、教育は大切な、大切な柱なのですから・・・。まずは「グローバル人材って何?」「コミュケーション力って何?」と、当たり前のように使われている言葉を見つめ直してみませんか。

最後に、大津由紀雄氏の言葉を引用したいと思います。それは、母語教育こそ、これからの日本の教育で真剣に考えなければならない課題だと考えるからなのです。

「外国語教育は母語教育(国語教育)と一体となって、将来の社会を担う子どもの基本的な知的基盤を整えるという重要な役割を果たすものなのです。にもかかわらず、「コミュニケーション能力」の育成という御旗の下に短絡的にある種の英語テストのスコアを向上させるためだけの英語教育を推し進めようというのはまことにもって危険な所業としかいいようがありません。」(p.69)

 

 

 

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