7月のアクラス研修報告「ともに考える〈多文化共生社会づくり~持続可能な未来のために ~」

話をする堀永乃さん

話をする堀永乃さん

20代半ばで浜松国際交流協会の専門職コーディネータとして活動を始めた堀さんは、町づくり・人材育成をキーワードにさまざまなことを仕掛けてきました。それは、集住都市会議が始まった翌年2002年のことでした。まさに専門職コーディネータ第一号として、走り続けてきた堀さん。そんな堀さんは、「対話を楽しむ」をモットーとするアクラス研修をするに当たって、次のようなことを考えてくださったそうです。

「参加者の人といろんな対話がしたい! だから、『これまでの私のやってきたこと・考えてきたこと』をじっくり振り返ってみたんです。こういう記事を見ると、まるで順風満帆のように見えてしまいますが、本当にいろいろありました。走りながら考え、考えながら走り……。今日は、私の失敗談も含めて、皆さんにお伝えし、対話を愉しみたいです。」

では、堀さんのライフヒストリーを中心に、研修のご報告を致します。

■日本語教室の実態をチェック:「なぜ学習者が減っていくのか?」
国際交流協会のコーディネータとなった堀さんがまずやったことは、しっかりと日本語教室の実態を把握することでした。その結果分かったことは「途中でやめていく学習者が多いということ」でした。そこで、堀さんは徹底してボランティアの方々との話し合いを重ね、次のような課題の解決に向けて努力を始めたのです。

堀さんの話に聞き入る参加者

堀さんの話に聞き入る参加者

・学習者が求めているものは、何なのか?
・今の教室には、何が足りないのか?
・それを補うには、どうすればいいのか?

こうして生まれた結論は、「今ある教室を否定するのではない。一緒に考えながらやっていこう。さらに、それと並行して、新しい考え方の教室を作っていこう!」でした。

■会話クラスでの新たな試み:「みんな話したがっている!」
2005年、これまでの文型積み上げ教室とは違った教室をやってみることにしました。3人1組のボランティアが場面・状況を考え、「会話スクリプト」を作成。それをもとに、ボランティアがペアで演じるのです。学習者は、それを見て、「どんな場面で、何をしているのだろう」と考え始めます。しばらくすると、「あっ、今、レストランで注文してる!」といった声があがります。こうしたことを繰り返した後、最後に模造紙に書いたスクリプトを見てもらって、練習に入ります。これまでのように、教科書を使って、まずは語彙や文型を与えるというやり方と反対方向、まさに「はじめに文型ありき」からの脱却です。

この新たな教室には、入りきれないほどの学習者が集まりました。その時、堀さんは大切なことに気づきました。「彼らは話したくってたまらないんだ。臨場感のある学びって、みんな楽しいんだ!」

コーヒーブレイク

コーヒーブレイク

■企業内教室の立ち上げ:「“移動″の問題を解決しよう!」
常に「なぜ?」を問い続ける堀さんは、教室に来る学習者の中で、製造業に従事している人が次第に減ってきていることに気づきました。それは、長時間の仕事に疲れて教室に通う元気がなくなったり、急な残業が入ったり、といろいろな理由からでした。そこで考えたのが、「そうか!だったら日本語教室までの「移動」をなくせばいいんだ。そうだ、企業内に教室を作ろう!」と、ヤマハ発動機に働きかけました。

しかし、このアイディアが実現するまでに、なんと1年の歳月が必要だったのです。最初は企業の方も耳を傾けてくれません。でも、どんなに困難な局面でも諦めないのが堀さん。会社に通い続けました。そんなある日、その後もずっと日本語支援でお付き合いが続く石岡さんが「工場で不良品を出さないためには、従業員同士のコミュニケーション力向上が一番だ」と知り、企業内教室を立ち上げることに大賛成してくださったのです。こうしてまた堀さんの新たな取り組みが始まりました。

■新たな課題に向き合う:「なぜ教室にコミュニケーションが生まれないのか?」
2006年に始まった念願の企業内教室、しかし、一人、二人・・・と学習者が減っていったのです。「文型積み上げではない良い教材を使って、こうして教えているのに、どうしてだろう」。またまた堀さんの「なぜ?」の追求が始まりました。

そんなある日、ヤマハの石岡さんから「講師チェンジはしませんが、講師チェンジする気がありますか」という問いかけがあったそうです。そうです、企業は、日本語講師にやめてもらおうとは思っていないけれど、講師の考え方を変える気はあるかと聞いてくれたのです。その時の、「日本語教室なんて、手段の一つにすぎないんだよ。このままじゃ、コミュニケーションは生まれないよ」という石岡さんの言葉に、堀さんはハッとさせられました。コミュニケーション重視と言いながら、実は、まるで学校のように知識を教え込んでいたのです。

■「当事者」がいないことに気づく:「空間をどうデザインするか?」
実は、教室に居るのは外国人とボランティアさん。ここには日本語を学ぶ外国人がコミュニケーションをする相手、つまり日本人が不在だったのです。そこで、堀さは石岡さんと相談をし、「職長以下、日本人社員は皆、日本語教育に参加せよ」という企業内指示を取りつけました。こうして一気に教室が活気づいてきました。守衛さんや産業医も参加して、コミュニケーションの当事者達が混じり合う場が出来あがり、良質のコミュニケーションが生まれていきました。

教室では部長がナースの格好をして「大丈夫」と外国人に聞いてみたり、「えっ、社会保険に入っていないんですか」というやり取りが生まれたりしました。しかし、こうしたやり取りよりもっと大切なのが、翌日の職場での会話なのです。つまり、教室で学んだ日本語を、そのあと職場生活や日常生活の場に、どう繋げていくのかが大切だと言えます。

この企業で働く日本人社員を巻き込んだ企業内教室では、日本人にとっても大きな学びがありました。外国人社員が頑張っている姿を見ることで、彼らをよりよく理解することができるようになったり、自分自身の日本語に気づいたり……。社内のコミュニケーションは飛躍的に向上していきました。

■日本語教師はどう社会に貢献できるのか?:「日本人をも含めた人材育成」
「日本語教師はどう社会に貢献できると思いますか?」という堀さんの問いかけに、参加者は自らを振り返り始めました。日本語教師は、実は、外国人だけではなく日本人をも含めた人材育成をしているのであり、そういう意味で大きく社会に貢献しています。つまり、日本社会と外国人コミュニティをつなぐ人なのです。

「だからこそ日本語教師はもっともっと考えなければ!」と、堀さんは話し始めました。例えば、防災の日本語では、安全に逃げるための日本語ばかり教えがちですが、実は、生き残る方法を教えることが大切です。それは、避難所でどうみんなとコミュニケーションをとるかを学ぶことが求められているのです。「炊き出し」の時に、「何か手伝いますか」「私はイスラム教ですから、豚肉は食べられません」と外国人が声を発することの重要性を意識した日本語教室がどれだけあるでしょうか。

介護の教室も主宰する堀さんは、次のように語ってくれました。「外国人を指導する場合、日本語教師はどうしても、漢字や言葉を教えることに必死になってしまいがちです。でも、もっと大切なのは、他にあるんですね。例えば、記録と報告は違いますが、これをしっかりと教えられるのは、実は日本語教師なんです。句読点の打ち方一つで意味が違ってきたり、5W1Hがはっきりしなかったりしては、介護現場で外国人は苦労します。だから、しっかりと教えるのですが、実は、これは日本人にとってもとても重要なことなんですよね。」こうしたことを考えると、日本語教師はさまざまな面で人材育成に寄与することができると言えます。

そのためには、もっと開かれた日本語教室にすること、そして日本語学校が地域に向けて開いていくことが求められているのだと、参加者一人ひとりが感じることができた研修会でした。

暑い夏の夜の「熱い、熱い2時間研修」、そして終了後の「ワイワイガヤガヤ、楽しい懇親会」、堀さん、本当にありがとうございました!!

当日配布資料:
『月刊日本語』より 月刊日本語
①「企業で働く外国人従業員を支えるために」2007.12
②「この人に会いたい」2011.4

『企業内日本語教室 カリキュラム開発報告書』(平成20年度文化庁委嘱事業)
H20企業内日本語教室報告書抜粋

参考:2013年10月に、堀さんの研修のことが「ふじみの国際交流センターの隔月刊誌「ハローフレンズ」10月号に載りました。書いてくださったのは、アクラス会員の矢澤美紀さんです。http://www.ficec.jp/event/inf6.cgi?mode=main&no=100

いつものお店で懇親会

いつものお店で懇親会

 

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