12月20日から22日にかけて、能代に滞在しました。「のしろ便り(1)西っ子は、多文化共生社会創りの先駆者になれる!~渟城西小学校の藤田校長との対話~」に続いて、「のしろ便り(2)」をお送りします。
■みんなでつくる「学習会の忘年会」~高校生も大活躍!~
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12月21日は、「のしろ日本語学習会」の「忘年会」でした。能代に15年通っていて、「忘年会」に参加するのは、初めてのこと、とても貴重な体験でした。今回は、代表北川さんのご主人が体調不良で急にご参加できなくなりましたが、高校生を中心とした子ども達の連携プレーで、みごとなパーティーとなりました。スタートは6時30分でしたが、現地集合は4時、みんなでワイワイ楽しい「準備タイム」となりました。
昨年はコロナ禍で断念しましたが、今年は、人数を半分に減らし、コロナ対策を十分にした上で、市の施設を借りての実施が可能となりました(参加者は、30数人)。中学生・高校生は熱心に準備をしたり、会の進行に協力したりと、大活躍!小さな子ども達は、畳敷きの大会場を、みんなで走り回って、楽しんでいました。
バンブーダンスに夢中になる子どもや大人、ビンゴでは、とても温かい景品が袋詰めされていました。「おっ!これ、すげえ」「あ、これほしかった」という声が、アチコチから飛んできました。スタッフやボランティアさんが準備をするのではなく、クリスマスツリーの飾りつけから、みんなで準備をする忘年会は、とてもすてきです。
あっという間に、終了時間の9時近くになりました。「はい、みんなで片づけ!」というリーダーの号令が響くと、みんなそれぞれに動き回って後片づけに力を注ぎ・・・。
こうした繋がり、ともに何かをつくり上げる体験、他の人に喜んでもらえる配慮などが、まさに地域の日本語教室には必要なのだと、改めて思いました。
■「調理師になりたい!」と熱く語るトシ君(高校1年)
準備が一段落したところで、私は、11月の多文化共生スピーチコンテストで再優秀賞をもらったトシ君との対話を楽しみました。トシ君のスピーチに関しては、こちらをご覧ください。
中国残留孤児四世の俊博君(高校1年)、スピーチコンテストで最優秀賞!
~「私の望む多文化共生社会」~(2021.11.10)
私はトシ君のスピーチの後半のこの部分のことをもっと聞きたいと思いました。
私の将来の夢は調理師になることです。まだまだ、勉強しなければならないことがたくさんありますが、一つハッキリしていることがあります。それは、外国人、特に子どもがいじめを受けたり、勉強が分からなかったり、ご飯が食べられないとき、支援できるようになることです。
シマ:
トシ君は、スピコンで「調理師になりたい」って言ってたよね。そのこと、もう少し話してくれませんか。
トシ:
子どもがご飯を食べられないって、本当に辛いと思うんですよ。ご飯があっても、しょぼいご飯だったり……。僕も経験、ありますけど。だからそんな子を、一人でも少なくしたいと思って。
シマ:
「のしろ日本語学習会」の時は、北川さんがいつもお弁当をみんなの分作って持ってきてくれるよね。あれは、みんなにとっても嬉しいでしょうねえ。
トシ:
はい。だから、自分もそんな子ども達のために、将来何かしたいと思ってるんです。
北川さんから毎週届く温かい「お弁当プレゼント」は、子ども達の心を温かくし、熱い思いを育ててくれているのです。
■<藤里町のアイドル>から<藤里町の太陽>になったサッチャン
『外国にルーツを持つ女性たち 彼女たちの「こころの声」を聴こう!』の第1章に登場するのは、藤里町で暮らす佐々木幸子さん、通称「さっちゃん」です。さっちゃんとは、何度も電話で話をしていましたが、直接会えるのは1年10カ月ぶりです。早速、周りの人の反応について話題にすると……。
嶋田:
サッチャン、本がご近所を回っていて、返ってこないのよね。
幸子:
うん。Aさんさ行って、それで、次にBさんに行って、次に、Cさんが借りたいから、Aさんさ行ったら、Bさんのうちにあるって、みんなで回してる。だから、私のうちには、なっかなか返ってこない。
嶋田:
回覧板みたいね。
幸子:
いや、回覧版みたいだけど、でも、回覧板とは違う。回覧板は、時間決めて早いべ。本は、すっごく時間かかったのよ。
また、こんなことも伝えてくれました。なんと、サッチャンは「藤里町のアイドル」から、「藤里町の太陽」になったのだそうです。ちょっとサッチャンの話をお聞きください。
本読んだ人が、なんか「赤い太陽がぱっと出てるみたい。ぱっと出てる感じ、って。
幸子さんのこと、本の中で見ましたって。えらいねえ、知らなかったよ。なんか「藤里町の太陽」みたいだねえ、って。
日本語も全く分からず、地域社会にも馴染めず、人知れず苦しんでいたサッチャンが、日本語を覚え、日本文化を知ることによって、社会参加を果たし、今では、周りから「町の太陽」と言われるまでになったのです。外国にルーツを持つ人々に、私たちはどのように関わり、どのようにともに社会をつくっていけばよいのか、そして、改めて発信することの大切さを痛感しました。
■「介護支援専門員」の資格を取った路子さん!
第5章に登場したのは、介護施設で働く路子さんです。忘年会には、お嬢さんと一緒に参加していました。同じテーブルになって、いろいろ近況を聞くことができ、とても楽しい時間でした。何より嬉しかったのは、「介護支援専門員」合格の報せです(今年3月取得)。お財布の中から、ピカピカのカードを見せてくれました。介護支援専門員とは、「介護保険法」に規定された専門職で、一般にケアマネジャー(略してケアマネ)とも呼ばれているものです。
働きながら、家庭の仕事をしながらの勉強、本当に大変だったと思います。以前、「とても大変なので、何年かかるかわからないけれど、やってみたいと思っています」と言っていた言葉を思い出しました。そして、隣りでニコニコ話を聞いていたお嬢さんの幸美さんのコメントが忘れられません。
お母さん、いっつも頑張ってました。私が覚えているお母さんって、勉強していない時ってないんです。いつも何かを勉強、チャレンジしてました。小さい時から、「ホントすごい!」とって思ってました。
幸美さんは、お母さんの背中を見て育ち、今は、看護の専門学校で勉強を続けています。「お母さんのようになりたい!」という思いがいっぱいのお嬢さんです。中国から結婚のため能代に移り住んだ路子さん。ご主人亡き後も能代に残り、2人のお子さんを立派に育て、ご自分も能代の町に社会貢献をしている路子さん。まさに、人と人との関わりが「地域社会の人財」を生み出し続けていると言えます。
■正社員として会社で働き始めた冬美さん「日本語を学んでいてよかった!」
『外国にルーツを持つ女性たち 彼女たちの「こころの声」を聴こう!』の3章に登場する冬美さんとも、対話を楽しむことができました。なんと彼女は、正社員として二ツ井の会社に勤め始めていました。自分では、とても合格できないと思っていたそうですが、彼女の日本語力に、会社側も感心したそうです。
着物の着付けを学び、着付けコンテストにも出場、さらには、スピーチコンテストにもチャレンジしてきた冬美さんは、地域のイベントのボランティアにも積極的に参加してきました。今は、コロナ禍で実施が見送られていますが、能代七夕の城郭灯篭「天空の不夜城」では、通訳を務めています。ご主人と一緒に、夜遅く会いに来てくれた冬美さ
んは、こんなことを話してくれました。
教室で、ただしゃべるんじゃなくて、ちゃんと日本語を教えてくれたから、就職できたと思います。ただ、方言しゃべってればいい、ってやってたら、お客さんの応対、ちゃんとできなかったです。標準語を教えてもらって、本当に良かったです。
こう語る冬美さんも、「あの家の嫁は、言葉がきつい。乱暴だ」と言われ、悩んだ時期もありました。でも、自分自身の努力と、周りの温かいサポートにより、冬美さんは一つ一つ階段を上がり、自分のやりたいことを見つけていっています。これからは、母語の中国語と日本語を生かして、さまざまなことにチャレンジしていきたいと、熱く語ってくれました。
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最後に、北川裕子さんの言葉を紹介することとします。私もつくづく地域の日本語教育の端っこに関わっていられて、良かったなあ・・・と思いながら、能代の町を後にしました。
日本語指導者の仕事って、いろいろ大変な面はあるけど、とっても幸せな仕事ですよ。小学生のサポートもあれば、就活期のサポート、結婚してからのサポート。日本に来たことを後悔しない人生、日本で暮らすことを幸せに感じることができるように、支援してるんですよね。だから、子ども、大人、老いていく人・・・全体を見ることがとっても大切だと思うんですよ。その人の人生、全体で見ていくことですね。人って何歳であっても、学んで、そして幸せは自分でつかんでいく。それをお手伝いするのが、日本語指導者だと思います。