海外だより<コロナ禍に向き合う>第5回「インドの現場から」(名須川典子さん:2020.5.30)

海外だより<新型コロナ禍に向き合う>第5回

  「インドの現場から」名須川典子さん(2020.5.30)

 

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新型コロナウイルス感染症の拡大による影響は世界中に広がっています。   

それぞれの国・地域では取り組み方も違えば、人々の行動の仕方も違います。   

そこで、海外で暮らし活動をしていらっしゃる方々から、「現状、取り組み方、

特長など」について伝えていただきたいと考えました。

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インドのロックダウン事情

        日本語センター(デリー)

        名須川典子 

 

今回のコロナ禍では、インドは他国よりも早く英断を示し、デリーでは、3月22日(日)に1日のロックダウンと称し、実質60日以上のロックダウンが今も継続している。「ロックダウン」という名の通り、日々の食

文化プログラムを楽しんでいましたが、今はすべてオンラインで……

文化プログラムを楽しんでいましたが、今はすべてオンラインで……

品や薬を買うのだけが許される厳しいものだ。外に出ると警察に止められる。車なんかで出るものなら、たちまち止められ、「特別通行証」の提示が求められる。不必要に外出したら、警察に棒でたたかれたり、罰金をとられたりする。私が住んでいる住宅街では、夕方になると、アメリカ映画のごとく、パトカーと白バイ(インドの場合は黄色)が並んで道を走り、威圧する。

私は、この60日間、ほとんど家から外に出ていないので、この間、家の前にある駐車場を久しぶりに歩いたら、何だかヘンな感じがした。小鹿がはじめて地面を歩く時ってこんなのかなあ。窓から外を見ても、人っ子一人いない風景が当たり前で、昔、アメリカ映画で見た「ゴーストタウン」を思い出した。

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ところで、日本では、携帯のLineを使う人が多いが、インドでは、WhatsAppというアプリが、ダントツ一位。メッセージだけではなく、日々、様々なビデオが飛び交う。

コロナが「危ない」と認識され始めた2月の終わりごろから、コロナ関連のビデオもちらほら見かけるようになった。私も最初は、コロナってインフルエンザの兄弟?ぐらいに考えていたが、中国のコロナ患者がバタバタと死んでいく強烈なビデオを見て、認識が一変した。こんな恐ろしい病気とは・・と思ったのは私だけでなく、周りのインド人も同じだったようだ。そのうちにどんどん状況が悪化して、テレビのニュースでも、他国のコロナ患者が道で倒れて亡くなっている映像を映し、一般のインド人にも恐怖感を植え付け始めた。今さらながら映像の力のすごさを実感した。

そういうわけで、ご近所さんもみんな家の中で息を潜めて暮らしている。隣人とも出来るだけ顔を合わせないようにして・・。従来、インドの人々は、おしゃべり好きで、日々、近所の人と様々な話題について語り合ったり、知らない人とも普通に話す気さくな人が多い。そんな日常が一変した。

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ロックダウン開始1ヶ月後の夜、インド首相からの大切なお話がある、ということで夜8時、インドでは、みんなが揃ってテレビのニュースを見ていた。そして、それは数日後の夜9時からみんなで一斉に医療関係者に感謝の気持ちを送り、それから神様にお祈りをして、お祈りのベルを鳴らしてポジティブなエネルギーを広げ、コロナをインドから追い出そう!というものであった。このようなことを受け入れられる土壌がインドらしくていいな、と感じた。然り。その日は、各家のベランダから一斉にベルの音が鳴り響いていた。

私はというと、デリーに日本語センターという組織を20年前に設立してからというもの、目の回るような忙しさと追いかけっこをしているような毎日を送っていたので、3月にロックダウンに入った頃は、「こんなに

日本語の授業も、今はすべてオンラインで・・・。

日本語の授業も、今はすべてオンラインで・・・。

家にいたことは何十年ぶりだろう」といたく感動していたが、そのうち、そんなことは言っていられなくなった。インドのすべての会社、教育機関が例外なく閉鎖せざるを得ない状況で、日本語センターのすべてのコースも停止状態に追い込まれていた。何百人もの学生が急に日本語を学習する場を失ったわけである。最初は、未提出の宿題を催促するなど、できるだけ学生が日本語に関わっていられるようEメールやWhatsAppでコミュニケーションをとっていた。しかしながら、ロックダウンの期限が来たと思ったら延長、という繰り返しで、「これは、いかん」と思い、いよいよ私が恐れていたオンラインクラスへの第一歩を踏み出すことになった。

オンラインで日本語教育の成果をあげるのは至難の業、と確信していた私にとって、その一歩はあまりにも重すぎたが、そんなことも言っていられず、いくつかのオンラインセミナーに参加させていただき、「オンラインクラスの初心者コース」からスタートした。嶋田先生の寺子屋セミナーにも運よく参加させていただくことが出来、大きな学びを得ることが出来た。You Tube先生にも大変お世話になり、ヨチヨチ歩きながらも、4月にめでたくオンラインクラスのデビューを果たすことができた。インドでは、周りを見渡しても、大学や民間の日本語学校で、「オンラインクラス、ヨチヨチ歩き」の教師たちが、右往左往しながら、必死にオンラインクラスに取り組んでいた。「わからないから出来ない」と言うのは通用しないご時世になった。

オンラインのクラスは、教室の対面教育とあまりにも違いすぎて、新しい教材の作成、教え方の違いに戸惑いながら、神経をすり減らしつつ授業を行った。コンピュータを睨みつけながら授業を行うので、目も赤くなった。初日のクラスはたったの2時間だったが、クラスの後、普段、教室では感じないような異常な疲労を感じ、その日しばらくは何も出来なかった。しかし、毎日クラスをしていくうちに、だんだん体と頭が慣れてきて、1日に3コマ(6時間)の授業をこなせるようになっていた。本当に人間の脳と体はすごい。とはいうものの、対面授業とは違う種類の疲れで、体面授業の後で感じるような、さわやかな、スポーツの後で感じるような心地よい疲労とは違っていた。

オンラインクラスとの格闘の日々が続いているが、自分の授業を録画して、恥ずかしいなあと思いながらも、それを見返して、少しずつ改善をするように心がけている。学生の人数やレベルによる多様性も大いにあり、なれないオンラインクラスでは、自分の中でも多くの迷いがある。キューの出し方があいまいになってしまい、学生とのコミュニケーションがうまくいかない。学生のマイクのコントロールがうまくいかず、家族の会話や、お母さんが食器を洗う音など、様々な音が交錯してしまったり(インドでは自分の部屋をあるのは珍しい)、それを防止しようとして、学生のマイクをミュート状態にし、私の声だけが鳴り響くクラスになってしまったり。対面授業のように、程よく学生とインタラクションをとりながら、キャッチボールをするように授業をすることが非常に難しかった。

個人レッスンは比較的やりやすいのだが、学生が10名~50名いるオンラインクラスで、効率的に日本語を教え、練習しようとすること自体が、まちがっているのではないかとも考えた。「学生が自律した学習者であれば、道が開けるはず」と思い、学生にオリエンテーションをしたり、モチベーションを上げるべく働きかけをしたりしたが、案の定、学生もおいそれとは、変わらない。結局、自律している学習者が多いクラスでのみ、オンラインクラスをやっている意義を感じることができた。

5月中旬から、毎日、7時間半の日本語・日本文化企業研修が始まった。従来は教室での集中研修であったが、今年は、コロナ騒動でオンライン研修に切り替わった。対面教育でも、非常に厳しく難しい研修で、2か月半で、ゼロから日本語能力試験のN4レベルまで引き上げなければならない。それを今、オンライン研修で挑戦中だ。毎日多くの新しい発見があり、ああでもない、こうでもないと、オンライン研修の可能性に挑戦する毎日である。オンラインとオフラインのバランス、同期型と非同期型のバランス、クラス全体の活動とグループダイナミクス、ピアワーク、個別指導、評価の仕方の工夫など、少しずつ前進はしているが、まだまだ

ディスカッションクラス

こうした教室での対面授業の見通しは立っていません。

課題は多い。

そうこうしているうちに、インドの風向きが変わってきた。もう、これ以上ロックダウンを続けると経済が破滅するという、コロナ禍の二次、三次災害が目に見えて大きくなってきたのだ。数日前から、「コロナと共に生きよ。自分の身は自分で守れ」という政府の方針のもと、厳しいロックダウンから、緩いロックダウンになりつつあるようだ。そして、なんと、現在の新規感染者数が、インド全体で1日6000人以上、感染者数は15万人を超えた。

5月下旬に日本はロックダウン解除となり、新規感染者数も減り、コロナもコントロール下に入ったようだが、インドの現状は逆走している。このような中、教室での対面授業の見通しは全く見えない。日本語教育も「継続は力なり」。オンラインだからできることに目を向けて続けていきたいと思う。

 

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