10月21日、市ヶ谷のアルカディアにて、「日本語教育推進法に期待する関係者の集い」が開かれました。日本語学校の理事長や校長をはじめ、数多くの方々が参加した集いは、200名を超しました。関係省庁の方々、出版社なども参加し、この集いにいかに多くの学校が期待を寄せているかが分かります。集いは、2部構成「1部シンポジウム」、2部「交流会」となっています。いくつもの団体の垣根を超え、「日本語学校による、日本語学校のためのシンポジウム」が開かれたということは、今後、日本語学校が一つになって、日本語教育の発展のために進んでいくことの第一歩になりました。
■シンポジウムのテーマと登壇者
シンポのタイトルは「多文化共生社会の『主役』としての日本語学校」、登壇者は、日本語教育推進議員連盟(以下、日本語議連)で汗をかいてくださった4人の議員の方々です。「推進法ができるまでのこと(裏話を含む)」「日本語学校関係は、なぜ『附則』に記載されているのか』「推進法のポイント」「日本語学校が、これからすべきこと」といったことを中心にお話しくださいました。まずは、登壇者のお名前を記します。
中川正春 衆議院議員(日本語議連会長代行・立法チーム座長)
馳 浩 衆議院議員(日本語議連事務局長・立法チーム事務局長)
里見隆治 参議院議員(日本語議連事務局次長・立法チーム)
石橋通宏 参議院議員(日本語議連事務局次長・立法チーム)
日本語教育関係に馳さん、中川さんが関わってくださるようになったのは、10年ほど前のことでした。それは、今回配布された「はせ通信vol.74」にある「悲願10年 多様性を認め合う社会の第一歩、それが『日本語教育推進法』」というタイトルにも窺えます。日本語教育学会では、シンポジウム「活気ある社会づくりと日本語教育(2011年6月26日)を開催し、そこでお二人に「政策展望」を語っていただきました。500名を超す参加者数を見ても、関心の高さがうかがえます(次のURLから記事がご覧になれます。➡
http://www.nihongohiroba.com/?p=1434)。その後、紆余曲折を経て、議連が出来、ついに今年6月に推進法の施行となりました。そこで、当時から馳さん・中川さんがおっしゃっていたことを改めて記します。
・何が課題か言ってください。そうすれば私たち政治家は動きます。
・データが必要です。「困っています。大変です」だけでは動けません。まずは、データを提示してください。
・日本語学校はいくつも団体があって、よく分からない。何かをする時は、まとまって動くことが大切。会議体でも誰に声を掛ければいいのかが明確でないと困ります。
今回のシンポでも、同じことを何度もくり返しおっしゃっていました。だからこそ、今回の「集い」に意味があるのだと思います。そして、初めて団体・グループの垣根を超えて1つになった「集い」から何かが始まることを期待する、ではなく、一人一人が自分のこととして考え、行動することが求められているのだと思います。
■日本語学校は「学校ではない」という言葉の重さ
推進法では、日本語学校は「附則第二条」で触れられています。
一 日本語教育を行う機関のうち当該制度の対象となる機関の類型及びその範囲
二 外国人留学生の在留資格に基づく活動状況の把握に対する協力に係る日本語教育機関の責務
三 日本語教育機関における日本語教育の水準の維持向上
四 日本語教育機関における日本語教育に対する支援の適否及びその在り方
「附則」に記されたということは、これまで日本語学校は定義づけされておらず、制度の中で法的な位置づけが明確にされていないということを意味します。パネリストから「学校という名前が付いているけれど、学校ではない。実は『私塾』の状態なんです。だからこそ、推進法が出来たことで、ここから議論を始めるべきなんです」という意見が出されました。
また「排除の論理ではない!」ということも付け加えて述べられました。「附則」を見ると、「類型化/責務の在り方/評価制度の在り方」などが挙げられています。そうしたことから、日本語学校は浮足だって、「我々の学校はどうなるんだ?」という議論がアチコチで渦を巻いていますが、推進法で言いたいのは、次のことだと考えます。
・さまざまな形態(設置形態・内容等)がある。それを見える化することが重要。
・多様であるからこそ、そこで学ぼうとする学習者に対して明確化することが重要。
・類型化するには、まずは調査が必要。そうして実態が見えてきて初めて支援の適否も明確になる。
・さらには、教育の質の向上のためにすべきこと、社会的認知・処遇改善も検討されることになる。
今、現場では、「類型化」「評価」「教師の資格化」といった一つ一つの言葉に踊らされ、「なぜ、そのことが必要なのか。それが、どう今後の日本語教育全体に生かされるのか」といったマクロの視点が欠けている気がしてなりません。今こそ、「日本語学校の社会的存在意義」を明確にするために、日本語学校が一丸となって、動くべきだと思います。
パネリストから何度も出たのが、動くときには1つの団体で・・・ということでした。例えば、「日本語教育推進関係者会議」が予定されていますが、誰に出席してもらえばよいのか、コンセンサスを得て参加してもらえるのか、といった課題が挙げられました。実際には、いくつものグループ・団体に分かれて活動していても、こうして日本語教育全体に関わることに向き合うには、ともに行動することが重要です。また、データに関しても、「個別の団体で幾つか出されるのではなく、全体としてのデータが重要」という要望が出されました。
やっと垣根を超え、一堂に会して同じ方向に向くことができたのです。ここから、次のステップに、適切な方法で、しかも迅速に進むべきではないでしょうか。
■「法務省告示」ではなく、「教育で見るシステム」を!
パネリストから「入管はビザの管理。つまり、『教育は育てる。入管は管理する』なのに、今まで通り「法務省告示」という制度でいいのですか。教育ですよ!このことも議論ができるといいのではないでしょうか」という意見が出されました。これは、とても大切なポイントだと思います。在籍管理を中心に、留学生を見ていいのでしょうか。だからこそ、今回法律に「評価制度等の在り方」が盛り込まれました。
何度もくり返し「排除の論理ではない」という言葉が使われました。私たちは、もっと全体を見て、「みんな違って、みんないい」を忘れることなく、「では、どのような枠組みを作ったらいいのか」を考える必要があると思います。現在約780校あるという日本語学校が、同じような形態・教育内容である必要はありません。それぞれの学校に特徴があり、対象とする学習者も異なる個性豊かな日本語学校を作り上げていけばいいのだと思います。ただし、それが外から見える形を取らなければ、これまでのように「学校という名前がついているけれど、学校ではなく、私塾なんです」という状態を続けることになります。
「推進法は、出発点。ある意味方向性があるだけです。これから皆さんも一緒に具体案を作っていくのです」
という声が、どこまで日本語学校関係者の心に届いたのでしょうか。推進法が出来たからには、スピード感をもって行動することが求められていると言えます。
■日本社会を活性化するための「日本語学校の役割」
今回のシンポでは、「日本語学校は多文化共生社会にとって大切な存在」といったことが言われました。この点は、とても大切だと思いますが、これまで日本語学校と地域社会との関わりや、多文化共生社会の中での日本語学校の役割については、あまり語られてきませんでした。
私は長年「地域社会に根づいた日本語学校であってこそ、存在意義がある。地域社会とともに歩む学校づくりを!」と思い、歩んできました。また、10年ほど前に、日本語教育学会のワーキンググループの仲間とともに『日本語教育でつくる社会―私たちの見取り図―』という本を出しました。その中で、日本語学校について「地域力を育む日本語学校」というタイトルで、日本語学校の存在意義、可能性について記し、提言もしました。
http://www.nihongohiroba.com/?p=918
あれから10年、やっと大きな岩が動き始めたように思います。これからも、小さな点を積み重ねながら、それを線にし、さらには大きな面にしていきたいと考えています。
★シンポで触れられたこと(抜粋)
・教員免許法の改正の検討が必要
➡国語、算数などと同じように「日本語」という科目を作るべきではないか。
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・改正入管法と「多文化共生基本法」との関係
➡本来は、多文化共生基本法といったものが出来てから入管法改正を考えるべきである。
・事業主の責務に「家族に対する責務」
➡「事業主の責務」の項目に、ぎりぎりになって「家族に対する責務」が入った。
・海外の日本語教育に関する条文
➡関係者の署名活動の力で追加。さらに、推進法成立後は欧州に「継承語研究会」などが生まれている。
・不就学児2万人の問題(※2019.9.27文科省発表)
➡制度そのものを検討する必要がある。
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