現場の混乱を呼ぶこと必至:「英語教育改革実施計画案」

文科省から「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/25/12/__icsFiles/afieldfile/2013/12/13/1342458_01_1.pdfが出されました。ぜひ目を通してみてください。私はこれを読み、「教育の世界でまた「見切り発車」が行われようとしていること」に危惧の念を覚えました。これまでも小学校や中学校の教育における拙速な教育改革が、現場を疲弊させ、子ども達に大きな影響を与えてきましたが、またここに来て同じようなことを繰り返そうというのでしょうか。今度は、「英語教育全体のこと」であり、その影響はさらに大きいものになると言わざるをえません。

今年7月には、「日本の教育、みんなで考えませんか?『英語教育、迫り来る破綻』を読んで』」http://www.acras.jp/?p=1690という記事を書きました。これまでも大津由紀雄先生をはじめ、多くの方が問題点を指摘されてきましたが、今回の発表を受け、大津先生はNHKでも次のように語っておられます。

「すべての公立小学校に指導を適切に行える人材を配置できるのか、予算の点でも人的な点でも大きな不安を感じる。母語である日本語で自分の考えを表現し、相手の話を理解できる言語感覚が育っていなければ、英語を学んでも効果はないため、時期を早めすぎてかえって英語嫌いの子どもが増えるのではないか心配だ」http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131213/t10013798391000.html

ここでもう一度、「グローバル化に対応する」ことについて考えてみませんか。

◆グローバル化に対応するためには、どのような教育が求められているのか。

◆そもそも「グローバル人材」に求められる資質・能力は、どういうものなのか。

◆そうした資質・能力はどのように育てることができるのか。

今大切なのは、英語教育が独走することではなく、国語教育や日本語教育、他の外国語教育とも十分に「対話」を繰り返しながら、「グローバル化に対応した教育」について考えていくことではないでしょうか。

■「日本語で考え、自己表現し、伝え合う力」をもっと豊かに!

今回の実施計画には、最後の7ページ目に、「日本人としてのアイデンティティに関する教育の充実」として、国語に関する教育の推進が挙げられ、「国語科の授業時間数の増加/古典に関する指導の重視/文学教材の充実/言語活動の充実」が明記されています。しかし、もっと「日本語」そのものを学ぶことの大切さを浮き彫りにした実施計画案を出してほしいと思います。日本語で他者の声を聴き、自らの声を発することの大切さを実感できるような教育こそが、今の日本社会に求められています。日本語によるコミュニケーション力の涵養に、もっと目を向けてほしいものです。

私自身、大学では英文学を専攻し、外資系企業で働いた後、日本語教師の道に進みました。しかし、母語である日本語を客観的に学ぶ過程で、さまざまな発見があり、日本語を新たな目で見つめ直すことができるようになりました。まさにこの「日本語の教育」こそ、今の子ども達には大切なのではないでしょうか。ネイティブ英語教師について英語が話せるようになる前に、母語でしっかりと表現し、他者に伝えていく力、他者の声をしっかり受け止める力をつけることこそが、重要であると考えます。

■もっと議論を! もっと周到な準備を!~「現場」を見て、「現場」の声を聴く~

ニュースによると、文部科学省は平成30年度より計画の一部を始めることを目指しており、来年度には教員の研修を始める方針だそうです。しかし、それで果たして計画を実行に移すに十分な人材が確保できるのでしょうか。文科省の計画案では、「教員の確保・指導力向上だけでは十分対応できない部分について、JETや民間のALT等、外部人材のさらなる活用が不可欠」としています。では、現在のJETプログラムやALTの現状調査をどこまでやっているのでしょうか。単にノンネイティブ教師を増やせば済む話ではありません。

また、今でも現場教師はさまざまな業務に追われ、子ども達と十分な時間が取れないことが課題であるという声が多く聞かれています。そんな中、文科省は、「小学校中学年からの英語教育の開始に伴い、中学年の学級担任も外国語活動の指導を行う必要が生じるため、研修をはじめとした指導体制の大幅な強化が不可欠」と記しているのです。どれだけの負担が現場教師に課せられるのでしょうか。今、教師が最も力を入れるべきことは、子どもと向き合い、子どもの心に寄り添い、日本語で伝え合う・語り合うことの楽しさを子どもに教えていくことではないでしょうか。

■なぜ英語教育改革案に、「東京オリンピックを見据え」という文言が必要なのか?

計画実施案のリード文には、「2020年(平成32年)の東京オリンピック・パラリンピックを見据え、新たな英語教育が本格展開できるように、本計画に基づき体制整備等を含め、2014年度から逐次改革を推進する」とありますが、この文言には違和感を覚えます。「英語教育がどうあるべきか」を論じている中で、「東京オリンピックを見据え……」と持ちだすことは、おかしな話ではないでしょうか。

確かに「7年後の東京オリンピック開催」によって、人々の語学への関心は高まってきています。もちろんオリンピック開催が、小学校や中学校での英語学習に与える影響が大きいことも十分に分かっているつもりです。しかし、それはあくまで学習意欲を掻き立てる一つの要因に過ぎません。20年後、30年後の日本社会を担う人材を育てる教育改革を、安易に「東京オリンピック開催」を引き出して論じるようなことは、やめてほしいものです。

 

 

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