『できる日本語 中級』の著者、石巻にお礼に!

5月12日(日)、3人の『できる日本語 中級』の著者が石巻駅に降り立ちました。「ひと言お礼を

 記事を書かれた竹内さんと著者達

記事を書かれた武内さんと著者達

申し上げたい」という思いで、連休明けの日曜日、石巻に出かけて行ったのです。

実は、『できる日本語 中級』15課「情報社会に生きる」には、石巻日日新聞社発行の記事が載っています。それは、東日本大震災の翌日の手書きの「号外」です。新聞を発行するすべもない被災地で、「いったい何が起きたのか。今、どういう状況なのか。どんな協力が求められているのか」等など、必死に市民に伝えようとしている号外でした。ちょっと中を見てみると~~~。

「南浜町・門脇町倒壊・流出」「正確な情報で行動を!」といった表現に、その時の現場の状況が窺えます。「現在の被害状況」と題して、時系列で克明に記されています。

11日午後 4:00  石巻市役所7階が崩落。
同   5:50  門小が全焼。北村小は倒壊の恐れあり。
同   7:20  航空自衛隊松島基地は滑走路が浸水の為、動けず。

そして、号外は「石巻市役所では、庁舎外での炊き出しの協力を市民の皆様に呼びかけています」という言葉で締めくくられています。

「石巻日日新聞」の前で説明を聞く著者達

「石巻日日新聞」の前で説明を聞く著者達

15課「情報社会に生きる」担当の日下さんは、この号外を目にして「メディア・リテラシーを考えるときの貴重な教材。ぜひこれを教科書で取り上げたい」と思いました。そこで、思い切って日日新聞に連絡を取ったところ、教科書への転載を快諾していただくことができました。日本語教師とアナウンサーという二足のわらじを履いている日下さんにとって、電話インタビューはお手の物。1時間におよぶ電話取材を終えて、「手書きの壁新聞」というタイトルの読解教材を作り上げました。

このアイテムには、こんな思いが込められています。

『できる日本語』が記念館に飾ってありました!

『できる日本語』が記念館に飾ってありました!

「さまざまなメディアとのつきあい方を提示した後で、非常時に置ける手書きの壁新聞というメディアの原型とも呼べるものを出すことで、 “情報”というものについて考えてもらいたい」

教科書が出来あがった4月、日下さんは著者陣に「一緒に日日新聞にお礼を言いに行きませんか」と呼びかけました。そして、今回の著者3人の石巻行きとなったのです。ご挨拶に伺いたいと連絡を差し上げたところ、「お待ちしています。『できる日本語』は、記念館に飾ってありますよ」というお返事が返ってきて、びっくり! こうして3人の著者(日下倫子、永田晶子、山口知才子)はいそいそと石巻に出かけていきました。

では、翌日日下さんから届いた報告をご紹介したいと思います。

 津波の時の避難路を示す看板JPG

津波の時の避難路を示す看板JPG

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昨日石巻に行ってきました。『できる日本語』で読み物として、石巻日日新聞の「6枚の壁新聞」について書かせていただいたので、取材のお礼と出版のご報告に伺いました。取材した震災当時のデスク武内さんは、現在、石巻日日新聞創立百周年記念館「絆の駅ニューゼ」の館長で、当時のことについて資料を見ながら詳しく話してくださり、さらに車で市内の被害の大きかった場所を案内してくださいました。

この2年の町の変化、人々の気持ちの変化などについての貴重なお話をたくさん伺うことができました。また武内さん自身、苦しい中をお酒で気持ちを紛らしたり、音楽で気持ちを奮い立たせたりしながら、立ち止まることなく走り続けて来られたことなど話してくださり、被災地の方々の気持ちを背負いながら、それでも前向きに未来を切り開いていくための報道をしようと努力されている様子に感銘を受けました。

津波火災で全焼しつつも先生方の判断が適切で1名の人的被害も出さなかった小学校ー防災関係者などの見学ツアーが多く訪れる場所。

津波火災で全焼しつつも先生方の判断が適切で1名の人的被害も出さなかった小学校

武内さんのお話によると、震災から2年が過ぎ、市民の状況も人によって大きく違いがあり、そのことがまた負担にもなっているようです。あの震災で大切な人、財産、仕事、ふるさとなど、皆さんそれぞれになくしたものがあります。同じものをなくしても受け止め方が人によって違うことはもちろん、なくしたものがふたつ、みっつと重なると、そのダメージはさらに大きくなり、心の立て直しに時間がかかります。その時間の差が目立つようになってきているようです。地元の精神科医の話ではこの春頃からPTSDで病院を訪れる方が増えているそうです。「とにかくがむしゃらに突っ走って」ここまで来た方が、たくさんいらしたということなのでしょう。

最も大きい16メートルの津波で引き倒された建物。引き波で海側に倒れた建物の被害の例として多くの見学者が訪れるので残してあるそうです。

最も大きい16メートルの津波で引き倒された建物。引き波で海側に倒れた建物の被害の例として多くの見学者が訪れるので残してあるそうです。

武内さんが震災後、流された愛車の代わりに買われた軽4の名前は「ジュピター号」、平原綾香の歌からの命名です。また、毎日車の中で山下達郎の「希望という名の光」を聴いて、心を奮い立たせているそうです。(この曲は日日新聞がドラマ化された時の主題歌だそうです)そうしなければ、仕事を続けることはできなかった―率直なお気持ちだと思います。そして、それは被災地の多くの方の気持ちを代弁しているものだと思いました。

「ジュピター」「希望という名の光」の話から、武内さんはこんなふうにもおっしゃってました。「よい言葉は助けとなる、支えとなる。だからそんなよい言葉を伝えたい」。言葉を生業にしている私たちには胸に響く言葉でした。もちろんこの「よい言葉」は「耳障りのよい言葉」でも「都合のよい言葉」でもありません。私は平原綾香さんの「ジュピター」の<私のこの両手で何ができるの?>という問いかけがいつも心にひっかかっています。私にできることって何なんでしょう。http://www.youtube.com/watch?v=wSdfRkklMtI

元気に泳ぐ石巻の鯉幟

元気に泳ぐ石巻の鯉幟

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『できる日本語中級』15課

『できる日本語中級』15課

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