6月アクラス研修の報告レポート(講師:定延利之)レポーター:ヤマネ サチヨ

6月21日(金)に行われたアクラス研修のご報告です。6月研修は、「『きもち・権力・会話』の文法を考える」というテーマで、定延利之さんにお話していただきました。今回のお話の内容は、7月12日に大修館書店より出版予定の『文節の文法』に詳しく出ています。研修会に参加なさった方も、残念ながら参加できなかった方も、是非お手に取って、お読みください。今回、レポートをまとめてくださったのは、山根さんです。どうぞご覧ください。

 

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きもち・権力・会話』の文法を考える

講師:定延利之 京都大学教授

レポーター: ヤマネサチヨ(フリーランスネット日本語教師)

 

講師の定延利之さん

講師の定延利之さん

研修会当日は講師の定延先生をはじめ、皆さん早めの到着で、やる気が漲っていました。「きもちの文法って何だろう」「権力と文法にどんな関係があるんだろう」好奇心いっぱいに研修が始まりました。以下にレポートを記します。

 

これまでは組み合わせの文法だけ

これまでの文法は、「組み合わせの文法」だった。ことばはことばと組み合わさり、場面と組み合わさって発せられる。ことばに不自然さがあるとすれば、それは組み合わせが悪いのだと、考えられてきた。不自然な言葉に対して言語学者がくだす診断は「組み合わせ不全」だけだった。

 

組み合わせ不全の例

・「旅行するが好きです」 品詞上(動詞と格助詞)の組み合わせ不全

・「山白い」 語順の組み合わせ不全

・「そいつに水をさしあげる」 意味上の組み合わせ不全(皮肉の意味を除く)

・「ゆでだまご」 音韻上の組み合わせ不全

・別れ際の「もしもし」 場面の組み合わせ不全。

・「gtkdbfkqrsz」 発音上の組み合わせ不全。

 

「きもち」の文法

『文節の文法』定延利之実はことばの不自然さは「組み合わせ不全」によるもののほかに「きもち欠乏症」があるのではないか。きもちが現れていないことを理由に言葉が不自然になることもあるのではないか。では「きもち」とはなにか。「『きもち』って何ですかとは聞かないでください。わかりませんので」と話された定延先生。心理学の「感情」「情動」に近く、音声科学の「感情音声」の「感情」や「態度」と近く、文法研究の「ムード」や「陳述」、語用論の「表出性」にも近いが、それらとどう重なり、どうずれるのかはよくわからないとのことである。非常に重要な概念で持ち出さざるを得ないため、少しでも簡単にひらがな表記を使用されることにしたそうだ。

 

考察例

「あの人って話長くない?」と訊かれて、「だ」というのは不自然だけれど、「だな」「だね「だよな」「だよね」は使える。「です」「か」というのはだめだけれど、「ですねぇ」「「かなぁ」は使える。これは組み合わせ不全なのか、気持ち欠乏症なのかということをまずは組み合わせ不全から考えた。

「か弱い」のように、ほかの組み合わせが必要だからダメなのか。そうではないと根拠を二つ示された。同じ発話でも終助詞を用いて感情が入っているかどうか、上昇で話す(他者への働きかけ)かどうかで正しいと判断される割合が違う。

「きもちの文法」は万能ではなく、観察できる局面が限られ、その効果も限られている。重度の組み合わせ不全は救済できないし、補給されるのはその場にあった気持ちでなければならない。しかし、万能でないからといって、たいしたことはないというわけではない。

 

具体例

「だ」「です」の共起

「雨だったです」〈 「雨だったです」〈 「雨だったですよね?」の順に使えると思われる。

「だ」と「です」を両方出してはいけないという組み合わせの文法があるが、それは重大なものではなくて違反しても軽症だ。「よ」や「ね」できもちを補えば多かれ少なかれ改善できる。

 

 

自立語しかない発話

「クリスマスの夜に。そういって彼と別れた」こういう発話は不自然で、書き言葉やCMナレーションのみにしか使えない。話し言葉になくて書き言葉にしかないのは言葉にとって重大な問題だ。定延先生曰く「声に出して読めない日本語」である。

 

判定詞「です」の文中生起

「この親書を、大臣からですね、先方に、渡していただいてですね」

本来なら文末に位置するはずの判定詞「です」を文中に入れても組み合わせ不全は軽傷で済む。「ね」できもちを補強すると、きもちの文法で救済される。

コーヒーブレイクの時も、資料片手に・・・

コーヒーブレイクの時も、資料片手に・・・

 

従来から部分的には「きもちの文法」の指摘はあった。「もしもし切符を落とされました」や「お腹がすいているんだったら、冷蔵庫にプリンがある」は組み合わせ不全だが、「よ」がつくと補える。これらの指摘は「きもちの文法」として一般化できる。

但し、後者を一般化するには、「発話の基本は、いま・ここ・現実について語ること」という、常識とは異なる考えをまず認める必要がある。

 

「いま・ここ・現実」

伝統的な常識によれば、発話は「いま・ここ・現実」に束縛されず、基本などない。人間の言葉は今ここにある現実を越えるものである。たとえば「リンゴ」といえば、いま、ここに現実にないリンゴでも指せる。人間は言語で過去や未来についても自由に話せる。

しかし、定延先生はこういう「自由さ」は語彙に限られると考えている。語彙と違って文法は、「今、ここ、現実」が基本である。その根拠は3つある。

その1はアニマシーである。仮定では「希望者があれば連絡してください」と言えるが、「今ここに希望者がある」とは言えない。つまりアニマシーの高低には「いま、ここ、現実」かどうかというリアルさが関わっている。

その2は他動性である。リアルじゃない可能では「水が飲める」と言えるが、リアルに「今ここで水が飲む」とは言えない。他動性の高低にも「いま、ここ、現実」かどうかというリアルさが関わっている。

その3は、いま、ここ、現実から多少とも離れた発話をすることがいつでも誰にでもできるわけではなく、状況によっては一部の者の特権になる、ということである。この「特権」には、「責任者」の特権と、「体験者」の特権がある。「責任者」の特権はたとえば以下のとおり。

車が動かないときに、その原因(運転手がアクセルと間違えてブレーキを踏んでいる)に運転手が自分で気づけば、「あ、ブレーキ踏んでた」と言えるが、後部座席の人は「あ、ブレーキ踏んでる」とは言えても「あ、ブレーキ踏んでた」とは言いにくい。「踏んでる」という発話は「いま、ここ、現実」についての発話だが、「踏んでた」という発話は、「いま、ここ、現実」から少し離れて、「ブレーキ踏んでるとは自分は今まで分からなかった」という、「いままでの、自分の心内」について少し言及している発話だからである。同様に「体験者」の特権的発話の例もあった。

 

権力の影響

部下が上司に唐突に「あと二か月で正月です」と言ったら不自然だが、上司が部下に唐突に「あと二か月で正月だ」ということはできる。権力がある人間は言いきりでも対応してもらえる可能性が高いためだ。(すぐに部下が「ほんとにねぇ。ついこの間まで、みんな暑い暑いって言ってましたのにねぇ」などと調子を合わせて「感慨の共有」の場ができあがる。) いわゆる「目上」、「目下」の「上下関係」と言ってもよいが、目上を目上と思わない不遜な部下もいるので、話をはっきりさせるために、「権力」としておく。

 

会話の影響

「明日晴れてくれればうれしい」といきなりいうと(第1発話)不自然だが、第2発話なら受けの発話だから終助詞を入れなくてもうまくいくことが多い。

 

権力・会話も文法に投入しよう

きもちだけではなく、権力や会話も文法に入れたらいいのではないか。組み合わせの文法だけで成り立つ発話は確かに存在するが、業務発話や儀礼的な発話に限られる。

・ただいま戻りました。

・お客様に迷子のお知らせです。

 

サポートを得て成り立つ発話

質問に答える講師

質問に答える講師

 

「あの人って話長くない?」「だよね」

本来は文に自立語が必要だという組み合わせの文法があるが、その組み合わせ不全を、きもち「よね」と第2発話である会話のサポートで成立させている。

 

「書類は先方に送っておいたから」

本来は文で話す(文が単位)という組み合わせの文法があるが、その組み合わせ不全を、権力のサポートで成立させている。権力がないものがあるものに言うのは不自然である。

 

「泳いだの?」「滅多にない機会でしたから」

本来は文で話す(文が単位)という組み合わせの文法があるが、その組み合わせ不全を、会話のサポートで成立させている。

文節や語の発話も同様にきもち・権力・会話のいずれかのサポートが必要である。

 

終わりに

文法は発話の規則性で、一般的なものだけに現実の会話にいつもよく当てはまるわけではない。たとえば魚の群れのパターンはまとまった形であるがくるくる変わり、意外なことが起こるとバラバラになる。文法が破られたときに、その状況に特別なことが起きているなら、その文法は私たちの言語実態を正しくとらえたリアルな文法になるのではないか。たとえ破られていなくてもその状況について何事かを語るのが生きた日本語の文法だというべきかもしれない。

 

最後に衝撃的な内容のおもしろい動画をご紹介いただきました。強い気持ちを表し文節で発話する例を使い、われわれの日常的な場面に寄り添えるような文法が作れたらいいなあと、思っていると話を締めくくられました。

 

感想例

懇親会

懇親会

 

・新しい考え方を教えていただいてありがたい気持ちです。

・「会話はただの情報伝達じゃない」という言葉が心に沁みました。

・違った視点が増えて面白かったです。

・私たちが知っている文法以外のことがたくさんあるんだということがわかりました。

・日常会話の違和感に敏感にならなきゃいけないと思いました。

・会話の中で不自然さを感じながらも理由がわからなかったことが少し整理されました。

・表出しない表現など知らないことがいっぱいあると思いました。

・実は日本語教師はこのことに気付いているんじゃないかと思いながら聞いていました。今後例文を検討する時の視点としていいことを教えていただきました。

 

その後質疑応答が行われ、さらに学びを深めることができました。

定延先生、ありがとうございました。

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