イーストウエスト日本語学校の「なでしこ作文」の受賞作品が発表されました。
4篇とも素晴らしい内容でしたが、実は、トン・ジャチュンさんの「留学生活で感じたこと」の以下の部分に惹きつけられました。落ち込んでいたトンさんが、ある日本人に出会い、そのことを通して元の元気を取り戻し、頑張り続けたという内容です。
図書館で純樹という日本人の先生に出会いました。「日本語がよく話せるよ」と褒めてくれたり会話や試験の面接を練習してくれたり、自信が次第に戻ってきました。
その4か月間、午前学校の授業が終わってからすぐ図書館に行き、純樹先生と閉館まで試験を準備し、家で夕食後、11時から夜3時にかけて学び、睡眠時間は更に4時間に減少しました。
私は、「この日本の方と、どのように知り合って、どのようにサポートしていただいたのだろう」と、いろいろ思いを巡らせました。そして、卒業式の1週間後、お会いすることになったのです。
■「すさまじい勉強の仕方」に感動!
トンさんと純樹さんは、毎日図書館で会い、会釈をする関係になっていましたが、ある時、エレベーターホールで出会い、磯貝純樹さんが声をかけたのが、きっかけでした。
磯貝さん:よく勉強するね。
トンさん:はい、大学院の進学を目指しているんです。
磯貝さん:そう。すさまじい勉強の仕方だね。
トンさん:ありがとうございます。
磯貝さん:いくらでも教えてあげるよ。
と、家庭教師をしている磯貝さんは、トンさんに話をし、それ以降、トンさんの作文にあったような日々が、大学院の受験が終わるまで続いたのです。磯貝さんは、「すさまじい勉強の仕方」と表現し、あまりに熱心な姿に感動したと述べてくださいました。また、トンさんは、後日「磯貝さんが、声を掛けてくださったのは、『私が図書館で情熱的に勉強をしている』からですか」と聞いたと言います。
■TV局勤務から日本留学へ
トンさんは、中国の大学を卒業後、テレビ局で仕事をしましたが、NHKのドキュメンタリーを見て、感動。「私もこんな番組を作るようになりたい!」と、仕事をやめ日本に行くことにしました。
もちろん周囲では大反対。お祖母さまは「世界にいろいろな国があるのに、どうして日本に行きたいのか」と、日本行きに疑問を呈しました。お父さまは、「中国の大学を出て、良い会社で仕事をしているのに、なぜそれを捨ててまで留学したいのか」と諭しました。しかし、トンさんの夢を常に理解し続けていたお母さまが、お二人を説得してくださったお陰で、トンさんの日本留学という夢が叶ったのです。トンさんは、お母さまのことを、次のように語ってくれました。
私は、母に感謝しています。いつも私の夢のことを分かって応援してくれています。
そして、とても尊敬しています。小学校の先生をしていましたが、医者になりたい
と言って、勉強を始めました。弟が生まれたので一度中断しましたが、また、
勉強を始めました。家族が寝た11時頃からずっと3時、4時まで勉強していた
時期もありました。そして、48歳の時に医師免許を取りました。
とてもすてきなお話に、私は胸が熱くなりました。トンさんの頑張りの原点を見た気がしました。
■大学院進学に向けた努力
トンさんは、日本語学校で午前中4時間授業受け、午後は図書館に向かうという毎日でした。そして、磯貝さんに研究計画の内容、面接のこと、そして、社会学についての話を聞きながら、専門的な知識も増やしていきました。
「小中学生、高校生・浪人でも、大学生や社会人だって対応します。学びたいことさえあれば、誰でもOK!!」
という磯貝さんのサポートは、的確で、実に熱心で、トンさんの実力はどんどん向上していきました。そして、何よりも「落ち込んでいた私を、褒めてくださったことが、すごく嬉しかったです」というトンさんの言葉からも、教育の大切な部分が見えてきます。
こうして迎えた大学院受験、志望校はもちろん他の難関校も見事合格。トンさんと磯貝さんの4か月にわたる二人三脚は、素晴らしい結果を生み出しました。ちょっとひと言言葉を交わし、サポートを申し出たことから始まった日中の交流は、すてきな結果を生み出し、これからもずっと続いていきます。
■磯貝さんのトンさんに対する印象
磯貝さんは、こんなふうに語ってくださいました。
とにかく「かぶりつくように」って言う表現を使いたくなるような勉強の仕方でした。
その真剣な姿は、すごく印象的でした。そして、教えるようになってから思ったのは、
呑み込みの早さと、食らいついてくる力です。すぐに鵜呑みにしないで、異論・反論
をする力がすごいんですね。
そして、自分の意見を言う力がなかなか育たない日本の教育の問題点に話題は移り、日本の教育に求められる「カンフル剤」へと話は発展していきました。磯貝さんは、さらにこう付け加えました。
トンさんは、きちんと直接的に話をしてくれる。曖昧にしないで、きちんと自分の意見を言
い、反論をしてくる。そこに、ちゃんとコミュニケーション力もある。すごいと思いました。
筑波大学大学院でメディア論を研究することにしたトンさんは、ちかぢか筑波へと引っ越しをすることになります。これからは、しょっちゅう図書館で会うことはできなくなりますが、中野で生まれた「二人の交流」は、いつまでも長く、深く続いていくことでしょう。
■トンさんの日本人・日本社会に対する印象
トンさんは、中国にいる時に見ていたニュース・情報から「日本人は冷たい。日本社会にも、あまり温かさはないだろう」と思って、来日しました。しかし、それが違っていたことに、日本語学校入学直後に気づきました。トンさんの言葉を直接引用してお伝えしたいと思います。
先生、2つのことを挙げたいと思います。まずは、イーストウエスト日本語学校で
出会った先生たちです。本当に温かくて、優しく接してくださいました。そして、
教えるのが、すごく情熱的で、それに感動しました。
もう一つは、純樹先生との出会いです。最初、毎日勉強していても、誰も話しかけ
てくれない。だから、純樹先生に話しかけてもらって、すごく嬉しかった。あの時
の気持ち、忘れられません。それに、ずっと教えてもらっているんですから、
本当に幸せです。
だから、「日本人は冷たくなんかない。温かい温度の人たちなんだ」と分かりました。日本に来たばかりの頃は、大学院を出たら、すぐに中国に帰るつもりでした。でも、日本で生活しているうちに、このような世界で生きていきたいと思うようになりました。今では、あれだけ留学を反対した父も祖母も、みんなとても安心しています。
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アクラスでのトンさんと磯貝さんとの「対話」は、2時間半も続きました。ここに記したこと以外にも、たくさんのことを語ってくれました。
・なぜメディア論を研究したくなったのか。
・将来、社会貢献という視点から、何をしたいのか。
・社会(世界)にどういう変化をもたらしたいのか。
・家族の方々の心温まるエピソード
とてもここには書ききれません。これからのトンさんと磯貝さんのさらなる交流が楽しみです。
マジョリティである日本の方へのお願いです。いつも行くお店で、図書館で、外国の方に出会ったら、ちょっと声を掛けてみていただけませんか。そんなちょっとした行為が、大きな幸せを生み出すことになります。日本人にとっても、外国の方々との触れ合いは、さまざまな気づきが生まれ、大きな学びにつながります。そして、そこから、日本社会はいきいきとした社会へと発展していくことができます。トンさんとの「対話タイム」は、私にとって、いろいろなことを考えさせられた貴重な時間となりました。
そして、最後に、トンさんが2019年10月に入学して以来、彼の夢に向き合い続けた「日本語学校の先生方の姿」について付け加えたいと思います。日本語学習だけではなく、トンさんの専門についてのアドバイス、進学先選び、面接指導など、さまざまな先生方が関わってきました。ある先生のこんな言葉をお伝えして締めくくることにします。
大学院指導の先生は、特に、ただ研究計画書を直すだけではなく、
対話をしていました。
生方に問いかけて、自分の中で温めてから答えや自分の方向性を見つけてい
いたように思います。そして、最後に地域の方と出会えて、本当に幸せですね。